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「神との対話」 ~アセンション&意識変容~
「アセンション」が意味するものとは!ニール・ドナルド・ウォルシュの著書「神との対話」からのメッセージが、「あなた」を思い出す機会を与えてくれることを心より祈っています。
親は常に自分の行動という手本によって、何が「正しく」、何が「間違っている」かを子どもに教えている
質問者:では、セックスと子どもについて、お聞きしたいのですが。子どもがいくつぐらいになったら、セクシュアリティについて本当のことを教えてもいいんでしょうか?

子どもは生まれてすぐ、自分をセクシュアルな存在だと気づいているよ―つまり人間だということだが。なのに親たちは、できるだけ気づかせまいとする。赤ん坊の手が「いけない場所」に触れると、やめさせる。幼い子どもが自分の体に罪もない歓びを見つけると、親はぎょっとして大騒ぎし、子どもに不安を植え付ける。子どもは、自分は何をしたのだろう、ママがあんなに怒っていると、怯える。

あなたがたの人種にとっては、子どもたちにいつセックスを教えるかではなく、セクシュアルな存在であることを否定せよという要求をいつやめるかが問題だ。12歳から17歳の間のどこかで、大抵の親は闘いを放棄して、「よろしい、もう自分のセクシュアルな部分に気づいて、それを使ってもいいよ」と伝える(もちろん、言葉にはしない―話題にもしないから)。そのことにはとり返しがつかなくなっている。

10年もの間、子どもたちは身体の一部を恥じるべきだと教えられてきた。その部分の適切な名所すら教えられていない子どもさえいる。「いちもつ」だの「われめちゃん」だのと、単純に「ペニス」「膣」と言いたくないばかりに、あなたがたが考え出した言葉を聞かされる。

こうして身体のその部分は口にしてはいけない、否定すべきだという味方をしっかりと植えつけられて育った子どもは、どうしていいかまるでわからずに、激動の思春期を迎える。

全く準備ができていない。当然、彼らの行動は惨めだ。新しい最も激しい衝動に、不適切とまでは言えないにしても、不器用な反応しかできない。そんな必要はないし、子どものためにもならない。あまりに多くの子どもたちが、タブーやコンプレックスを抱えたまま、大人になる。「群を抜いた存在」にはなれない。

開かれた社会では、幼い子どもたちが人間としての存在の喜びに気づいても、決して眉をひそめられたり、叱られたり、「矯正」されたりしない。両親のセクシュアリティも―つまり、両親もセクシュアルな存在だという事実も―隠したりしない。親や子ども、兄弟姉妹の裸体をごく自然に目にする。自然なもの、すばらしいもの、恥じたり隠したりする必要など全くないものとして扱われる。

社会によっては子どもの目の前で堂々と親がむつみあう。性的な表現の美しさ、すばらしさ、純粋な喜び、そして全面的な肯定をこれほど上手に子どもたちに伝えるものはないだろう。

親は常に自分の行動という手本によって、何が「正しく」、何が「間違っている」かを子どもに教えている。子どもたちは、親が考え、口にし、行動することを見て、すべてについて明確な、また微妙な信号を受け取っている。

そういう社会にはレイプや、性犯罪などは殆ど存在しないこと、売春などはトンデモナイ冗談でしかなく、性的なタブーや機能不全などという話も聞かないことははっきりしている。

いまのあなたがたの社会には、そこまでの開放性は勧められないにしても(よほど特殊な状況でない限り、文化的な烙印を押されてしまうだろう)、いわゆる現代文明で性的な表現や体験につきまとう抑圧や罪悪感、恥に終止符を打つために、何ならかの行動を起こすべき時だろうな。



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【2007/12/11 07:00】 | SEX
わたしは何も判定しない。あなたが決めればいい
質問者:それでは伺って、セックスについての最後の質問を思いつきました。大人どおしが同意していれば、どんなセックスも構わないんですか?

その通り。

質問者:つまり、「倒錯した」セックスもですか?愛のないセックスは?ゲイのセックスも?

第一に、神は何ものも否定しないということを、もう一度はっきりさせておこう。わたしはある行為を善とし、別の行為を悪と判定するために、ここにいるのではない。

さて、あなたの成長の途上で、何が自分に役立ち、何が役に立たないか、決めるのはあなた自身だ。ただし、成長した魂が一致して認めている、広い意味でのカイドラインはある。

他者を傷つけることになるなら、どんな行動も成長を早めることにはならない。第二にガイドラインは、他者と関係するどんな行動も、他者の合意と許可なしにはならないこと。


あなたの質問をこのガイドラインで考えてみよう。「倒錯した」セックス?それが誰も傷つけないなら、そして、みんなの許可のもとに行われるなら、それを「悪」と呼ぶ理由があるだろうか?

愛のないセックス?「セックスのためのセックス」については、時の始まりから議論されてきた。この質問を聞くたびにわたしはひとが大勢いる部屋に行って、「いつまでも続く、愛情溢れる深い関わりをもった相手としかセックスしたことがない者は手をあげなさい」と言ってみたくなる。

ただし、これだけは言っておこう。何事も愛がなければ、神性への近道ではない。愛のないセックスであろうと、愛のないスパゲッティやミートボールであろうと、愛なしに料理して食べるのであれば、その体験の一番すばらしい部分を手に入れ損ねる。

手に入れて損ねるのが悪いか?「悪い」という言葉はやっぱり適当ではないだろう。できるだけ早く高い魂をもった存在に成長したいというのであれば、「もったいない」という方が近い。

ゲイのセックス?わたしがゲイのセクシュアリティに―あるいはその行為に、反対だと言いたがるひとが多い。だが、わたしはあなたがたの選択について何も判定しない。ひとは、むやみに―すべてについて―価値判断をしたがる。気の毒だが、わたしはその仲間には入らない。そうした判定には加わらない。元々、わたしの評判なのだと言いたがるひとは、さぞ困るだろうが。

わたしはこう見ている。昔は、人種が違うものの結婚は勧められないばかりか、神の法に反すると言われた(驚いたことに、未だにそう考えているひとがいる)。彼らは権威として聖書を振りかざした―いまでもホモセクシュアリティについての判断の根拠として、聖書を持ち出すひとがいる。

質問者:それでは、人種が違う者どうしの結婚は構わないとおっしゃるんですか?

聞くのも愚かだね。「いけない」と思うよりはましかな。ホモセクシュアリティについても、あなたが決めればいい。わたしは何も判定しない。判定してもらいたがっているのはわかっているが。その方が生きるのに楽だからね。何も決断しなくていい。厳しい欲求もない。すべては誰かが決めてくれる。従ってさえいればいい。でも、たいした人生ではないな。少なくとも創造性とか、自分の力を養うという観点からすればね。それがどうした・・・ストレスさえもないではないか。



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【2007/12/10 07:00】 | SEX
まだ欲しいのを我慢して無理に諦めるのではなく、「持っても仕方ない」と知っているだけだ。単純に手放し、遠ざかるのだ
質問者:それでは、どうして多くの師が、完全に禁欲しているんでしょう?

人間がバランスをとれると、信じられないからだ。彼らは、性的なエネルギー―その他の世俗的な体験につきまとうエネルギー―は強力だから、ほどほどに保ってバランスをとるのは無理だと思っている。禁欲が霊的な成長の唯一の道だと考えている。ひとつの可能性に過ぎないとは考えていない。

質問者:でも、高度な成長を遂げたひとたちが、「セックスをあきらめて」いるのも事実ですよね?

古い意味で「諦めて」いるのではない。まだ欲しいのを我慢して無理に諦めるのではなく、「持っても仕方ない」と知っているだけだ。単純に手放し、遠ざかるのだ。

デザートのおかわりをしないのと同じだ。デザートがまずかったからではない。身体によくないというのでもない。おいしいけれどもう充分だ、というだけだ。そういった理由でセックスと関わらなくなっても、まだ欲求が在るかもしれない。あるいは、ないかもしれない。いつになったら「充分」なのか、決してわからないだろう。他の体験とバランスをとりつつ、その体験を欲し続けるかもしれない。

それはそれでいい。構わない。禁欲よりセクシュアルな行動の方が、悟りや霊的な成長から遠いわけでもない。悟りや成長を遂げたときに消えるのは、セックスに溺れると、根深い欲望、衝動的な行動だ。金や権力、安全、所有、その他の肉体的な体験についても同じで、そうしたものへの惑溺(わくでき)は消滅する。だが、それらに対する真の評価は消えないし、消えるべきでもない。人生のすべてを評価することは、わたしが創造したプロセスを称えることだ。人生や人生の喜びを軽蔑することは、たとえ基本的、肉体的な喜びであっても、創造者であるわたしを軽蔑することだ。

わたしが創ったものが汚れているとしたら、わたしはどうなのか?逆にわたしの創ったものを聖なるものと呼ぶなら、それらを経験することも、わたしという存在も、清らかだということになる。

いいかね。わたしは軽蔑すべきものなど、何も創造しなかった。

シェイクスピアも言っている。「悪」だと考えるから悪なんだ、それだけのことだ、とね。



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【2007/12/09 07:00】 | SEX
3つの面をもつ存在として生きたとき、あなたはようやくバランスがとれる
質問者:セックスがそんなにすばらしい人間体験なら、どうして、大在の霊的な師たちが禁欲を勧めるのですか?

彼らが単純な暮らしをしたと言われると、同じ理由だよ。高いレベルの理解に達したひとたちは、肉体的欲求と精神や肉体のバランスをとりたいと考える。

あなたがたは3つの部分からなっている。大半のひとは、自分を肉体として経験する。30歳を超えると、精神すら忘れられてしまう。読書もしなくなる。ものを書くこともなくなる。教えなくなる。学ばなくなる。精神は忘れられる。養われない。広げられない。新しいインプットはない。最低のアウトプットしか求められない。精神は糧を与えられない。目覚めない。なだめられ、にぶる。精神はにぶらせることばかりをする。テレビ、映画、くだらない本。何をするにしろ、ものを考えない。全く、考えない!

大抵のひとは肉体レベルで人生を送る。肉体を養い、衣服を着せ、「糧」を与える。大抵は何年も立派な本を読まずに暮らしている。立派な本とは何かを学べる本だ。だが、テレビ番組なら一週間分暗記している。考えてみれば、たまらなく悲しいことではないか。

大抵のひとは何も考えたくないのだ。自分で考えなくてもいいように、指導者を選び、政府を支持し、宗教を採用する。「気楽にさせてくれ。どうしたらいいか、教えてくれ」。大抵のひとはそれを望んでいる。どこに座ればいいか?いつ立てばいいか?どんなふうにあいさつすればいいか?いつ支払いをすればいいか?どうすればいい?ルールは?限界は?教えてくれ、教えてくれ。誰か教えてくれれば、そのとおりにするよ!それから、うんざりし、幻滅する。すべてのルールに従い、言われたとおりにした。なのに、そうして、うまくいかないんだろう?どうして、こんなにつまらないのか?どうして、何もかもばらばらになってしまうのか?

あなたが精神を、創造のために最高の道具(ツール)を捨てた瞬間に、ばらばらになるのだ。

もう一度精神と付き合うべきだ。精神と道連れになりなさい。そうすれば、それほど孤独でなくなる。精神を養いなさい。そうすれば、飢えなくなる。

あなたがたの一部は―少数だが―肉体と精神の両方があることを理解している。そんなひとたちは、精神も丁寧に扱う。だが、精神と精神的な事柄を大切にしているひとでさえ、精神の能力の一割も活用していない。精神にどれほど大きな能力があるかがわかったら、精神の驚異のお相伴(しょうばん)にあずからないではいられないだろうに。

肉体と精神のバランスをとっている者が少数だとしたら、肉体と精神と魂という3つの部分を生きているものは更に少ない。だが、あなたがたは3つの部分からなっている。肉体以上の存在であり、精神をもった肉体以上の存在なのだよ。

あなたは、魂を養っているだろうか?そもそも、魂の存在に気づいているだろうか?魂を癒しているだろうか、傷つけているだろうか?魂は成長しているだろうか、退化しているだろうか?拡大しているだろうか、縮小しているだろうか?

あなたの魂は、あなたの精神と同じように孤独だろうか?もっと、無視されているだろうか?あなたが前回、魂を感じたのは、いつのことだっただろうか?喜びにないたのはいつだった?詩を書いたのは?音楽をつくったのは?雨の中で踊ったのは?パイを焼いたのは?絵を描いたのは?何かを修理したのは?赤ん坊にキスしたのは?猫を抱き上げてほお擦りしたのは?山登りをしたのは?裸で泳いだのは?夜明けに散歩したのは?ハーモニカを吹いたのは?夜明けまで話し込んだのは?何時間も海辺で、森の中で、愛し合ったのは?自然と触れ合ったのは?神を求めたのは?黙って座り、自分という存在の最も深い部分にまで旅をしたのは、いつだった?魂に、「やあ」とあいさつしたのは、いつだった?

金。セックス。力。所有。肉体的な刺激と満足。安全。名声。金銭的な利益。

二面的な存在として生きていれば、精神的な事柄にまで関心が広がる。

友情、創造性、新しい考えや思い付きという刺激、新しい目標、新しい挑戦、個人的な成長。

3つの面をもつ存在として生きたとき、あなたはようやくバランスがとれる。魂に関する事柄に関心を持つようになる。霊的なアイデンティティ、人生の目的、神との関係、成長への道、霊的な成長、最終的な運命。意識が高まれば高まるほど、あなたは自分という存在のあらゆる側面を充分に認識するようになる。成長とは自分のある面を大事にして、別の面を捨てることではない。焦点を広げることだ。ある側面にばかりかかずらうのをやめること、すべての面を真に愛し、評価することだ。




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【2007/12/08 07:00】 | SEX
あなたがたは性を汚れた、恥ずべきもの、タブーにして、愛の行為を恥ずかしがっている
質問者:不思議なことに、あなたの言葉を聞けば聞くほど、さらに疑問が沸いてくるんです。いまは、セックスと同じように、政治についても疑問が沸いてきましたよ!

両者は同じだと言うひともいるね。政治の世界で行われることは―。

質問者:ちょっと待ってください!まさか、いかがわしい言葉を使おうというんじゃないでしょうね?

いや、ちょっとびっくりさせてみようかと思っただけだよ。

質問者:おやおや!やめてくださいよ!神さまはそんな言葉は使わないものですよ!

それでは、どうしてあなたがたは使うのかね?

質問者:普通のひとは使いませんよ。

バカを言ってはいけない。

質問者:だから、神を恐れるひとは使っていませんってば!

そうか、神を恐れるから、神を冒涜するようないかがわしい言葉を使わないんだね。しかし、たかが言葉でわたしが冒涜されるなんて、誰が言った?それに、あなたがたが情熱の高まりのさなかで、最高のセックスを表す言葉が、最高の侮辱としても使われるなんて、面白いと思わないか?あなたがたの、セックスに対するものの見方を示しているんではないかな?

質問者:どうも、混同していらっしゃるようですね。その言葉は、本当に輝かしくロマンチックで、セクシュアルな瞬間には使わないんじゃないかな。

おやおや、そうかな?最近、どこかの寝室へ行ってみたことはないのかな?

質問者:いいえ。おありになるんですか?

すべての寝室に、わたしはいる。いつでも。

質問者:まあ、それはありがたいことかもしれないですけど・・・。

おや?寝室ですることは、神の目の前ではできないと言いたいのかな?

質問者:大抵は、誰かが見ていると思ったら、落ち着かないでしょう。まして、神さまなんて。

しかし、文明の中には―アボリジニとか、ポリネシアの一部の人びとの間などでは―全くおおっぴらに愛の行為が行われるがね。

質問者:そうですね。だけど、殆どのひとは、そこまで自由なレベルに達していないんじゃないですか。それどころか、そういうのは原始への退化、異教徒的だと思うひとが多いでしょうね。

あなたの言う「異教徒的」なひとたちは、生命に大きな敬意をもっている。レイプなどということは白に脚、殺人も殆どない。あなたがたの社会はセックスを―大変に自然でノーマルな人間の機能を―覆い隠し、おおっぴらに人殺しをしている。それこそ、猥褻(わいせつ)というものではないか!あなたがたは性を汚れた、恥ずべきもの、タブーにして、愛の行為を恥ずかしがっている。

質問者:そうじゃないですよ。大抵のひとは、あるべきセックスに対する感覚が違うんです―自分たちのほうが高度なんだと言うでしょう。そして、ごくプライベートな行為だと思っている。人間関係の神聖な部分だと思っているひとたちもいますよ。

プライベートな行為でないと、神聖ではないというわけじゃない。人間の最も聖なる儀式の大半は、公開で行われている。プライバシーと神聖さを混同しないように。大体、最大の悪事は隠れてプライベートに行い、最善の行為だけをおおっぷらに見せびらかすではないか。

別に公開セックスを勧めているのではない。ただ、プライベートな行為が必ずしも神聖ではないと言いたいだけだ。それに、公開したからといって、神聖さが損なわれるわけでもない。

また、「あるべき」という言葉とそこに隠された行動規範が、何よりも―罰を与える神という概念は別として―男女の最大の歓びを禁じ、つまらないものにしている。



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【2007/12/05 07:00】 | SEX
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④神とひとつになること
⑤神との対話 フォトブック-ちいさな魂と太陽
⑥新しき啓示
⑦明日の神
⑧神へ帰る

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