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「神との対話」 ~アセンション&意識変容~
「アセンション」が意味するものとは!ニール・ドナルド・ウォルシュの著書「神との対話」からのメッセージが、「あなた」を思い出す機会を与えてくれることを心より祈っています。
愛は独特なものへの、独特な対応
いいかね、関係性のなかで、もっと高次の特別さを経験したいと思うときが来るかもしれない。自分にとって誰かが特別だというのではなく、すべてのひとへの(それに生命そのものへの)愛の深さを示す方法は相手によって違う、それぞれ独特なものだということだ。

実は、いままでもひとへの愛を示す方法は、それぞれ独特なのだ。全く同じ方法で2人に愛を示すことはできない。ひとはそれぞれ独特の被造物であり、創造者で、創造するものはすべて独特だからだ。思考でも言葉でも行為でも、同じものはない。ひとも同じにはなれない。独特な存在でしかありえない。

なぜ、同じ雪の結晶が2つないのか?それは、不可能だからだ。「創造」は「コピー」ではないし、創造者は創造することしかできないからだ。

だから、2つとして同じ雪の結晶はないし、同じ人間はいないし、同じ考えはないし、同じ関係もないし、同じものが2つ存在することは絶対にない。

宇宙は―そしてそのなかのすべては―単数でしか存在しないし、同じものは他にはないのだ。

質問者:それも、聖なる二分法ですね。すべては独特であり、すべてはひとつである。

そのとおり、手の指はみんな違っているが、しかし同じ手だ。

人間も同じだよ。すべての人間はひとつだが、2人として同じ人間はいない。したがって、どんなに努力してみても、2人の人間の愛が同じであるはずがない。それに、そんなことを望むはずもないのだ。

なぜなら、愛とは独特なものへの独特な対応なのだから。

そこで、ひとりへの愛を示すときは、他のひととの関係ではありえない方法で示しているはずだ。あなたの思考、言葉、行為―あなたの対応―は、コピーにはなれない。たったひとつのものだ。あなたが想う相手もそうだ。

この特別な愛をひとりだけに示したいと思う日が来たら、そのときは、さっき言ったようにそれを選びなさい。それを表明し、宣言しなさい。だが、その宣言は義務ではなく、その瞬間の自由の表明にすること。

なぜなら、真の愛は常に自由で、愛の場に義務は存在し得ないからだ。

ひとりだけを独特なかたちで愛するという決断を、決して破ってはならない神聖な約束と考えるなら、その約束が義務になる日が必ずやってくるし、あなたはそれを恨むだろう。

だが、その決断をたった一度の約束ではなく、何度でもやり直す自由な選択だと考えれば、それを恨む日は来ないだろう。

このことを覚えておきなさい。神聖な約束はただひとつしかない。それは、本当の自分を語り、生きることだ。他の約束は自由の喪失で、決して神聖なものではない。

本当のあなたは自由だから。自由を失えば、自分自身を失う。それは神聖どころか、冒涜だ。


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【2008/05/20 21:00】 |
愛の自然な表現
それは真の愛を表現しているのではない。それとは逆のものだ。

質問者:人間の経験という枠組みのなかで、真の愛はどこまで表現が許されるのでしょうか?その表現にはどんな制約をもうけるべきなんですか(もうけなければいけない、言うひとがいますね)?付き合いやセックスのエネルギーの制約なしに放出されたら、どんなことになりますか?付き合いやセックスの完全な自由は、すべての責任の放棄になるのでしょうか。それとも絶対的な高みに引き上げることになるんでしょうか?

愛の自然な表現を妨げようとするのは、自由の否定だよ。したがって、魂そのものの否定だ。魂は人格化した自由だから。神はその定義からして自由だ。神に制限はなく、いかなる種類の制約もない。

魂はミニチュア化した神だよ。したがって、魂は押し付けられるあらゆる制約に抵抗するし、外部からの束縛を受け入れる度に新たな死を経験する。

その意味では、誕生そのものが死であり、死は誕生だ。誕生するとき、魂は身体という恐ろしい制約のなかに押し込まれているのに気づく。死はこの制約からの解放だ。眠りでも同じ解放が起きる。

魂は自由のもとへ飛び帰り、再び本来の表現や体験を楽しむ。では、身体とともにあっても、その本来の表現や体験はできるのだろうか?

あなたが聞いたのはそれだよ。それを考えると、生命そのものの存在理由と目的に行き着く。生命にとって身体が監獄あるいは制約に過ぎないのなら、身体とともにあって何のいいことがあるか?身体の機能とは何なのか、それどころか、身体とともにいるのは正当なことなのか?

質問者:そうですね。だから、聞きたいんだと思います。それに、あらゆるところで、人間として体験に辛い制約を感じているひとたちみんなを代表して、お尋ねしたい。制約といっても、物理的な制約だけじゃなく・・・。

わかっているよ。

質問者:・・・感情的、心理的な制約でもあるんです。

そう、わかっている。わかっているよ。だが、あなたの言うことはすべて、もっと大きな質問に関連がある。

質問者:そうですね。だが、終わりまで言わせてください。




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【2008/05/16 21:00】 |
ひとは死んだらどうなるか
質問者:ここで、死について話してもいいですか?この3冊目の対話では、より高い真実、宇宙の真実について話そうとおっしゃいましたね?これまでの対話のなかでは、死についても、死後どうなるかについても、あまり話してきませんでした。だから、いま話したいんです。いかがですか。

いいだろう。何が知りたい?

質問者:死んだらどうなるんですか?

どうなってほしい?

質問者:とおっしゃいますと、どうなるかは自分で選択できるということですか?

死んだら、創造しなくなると思うのか?

質問者:さあ、わかりません。だから、お尋ねしているんです。

なるほど、道理だ(ところで、あなたはもう知っているのだよ。だが、どうやら忘れたらしい。それはそれでよろしい。すべては計画通りということがから)。

死んでも、創造をやめはしない。こう言えばはっきりしたかな?

質問者:ええ。

よろしい。さて、死んでも創造をやめない理由は、死にはしないからだ。死ぬことはできない。あなたがたは、生命そのものだ。生命が生命でなくなることはできない。したがって、死ぬことはない。では、臨終のときに何が起こるか・・・生き続けるのだよ。

だから、「死んだ」ひとの多くは、自分が死んだとは信じられない。死を経験しないから。それどころか、自分を非常に活き活きと感じる(本当に、活き活きとしているからだがね)。そこで、混乱が生じる。

「自己」には身体がボロボロになって、じっと横たわっているのが見えるかもしれない。だが、「自己」はあらゆる場所を飛びまわれる。文字通り、空間から部屋を見下ろす経験もする。それから、あらゆる場所のあらゆるところに、いっぺんに存在する。どこかに視点を定めたいと考えると、たちまちそうなる。「おかしいな、なぜ、わたしの身体は動かないのだろう?」と不思議がれば、魂は(「自己」をこう呼ぶことにするが)、自分がじっと動かない身体を見下ろしているのに気づくだろう。

誰かが部屋に入ってくる。魂が、「誰だろう?」と思えば、その途端、その人物の正面に、あるいは隣にいる。こうして、ほんの短い時間に、魂は思考と同じスピードでどこにでも行けるのだということを学ぶ。魂は信じられないほどの自由と軽やかさを感じるが、思考のスピードであらゆる場所を飛び回るのに「慣れる」には、普通は少々、時間がかかる。

もし子どものことを考えたとすれば、子どもがどこにいようと、たちまち魂は子どもの側にいる。こうして魂は、どこへでも行きたいところに思考のスピードで行けるだけでなく、いっぺんに2つの場所にいられることも学ぶ。それでどろころか、3つの場所でも、5つの場所でも同じだ。

魂は困難も混乱もなく、いくつもの場所に存在し、観察し、そこで行動できる。それから、焦点を定めるだけでひとつの場所に戻り、自分と「再合体」する。

次の生命のなかで、魂は、この世でも覚えていた方がよかったことを思い出す。すべての出来事は思考が創り出すもので、それは意図した結果の現れということだ。


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【2008/03/13 21:00】 |
5つの自然な感情がゆがめられたとき、感情はグロテスクになり、愛の派生物とは思えなくなる。まして、絶対的な愛である神には見えない
質問者:不安が愛を表現するんですか?

最高のかたちではそうだ。最高のかたちなら、すべては愛を表現する。道路でひかれそうになった子どもを救う親が表しているのは、不安だろうか、愛だろうか?

質問者:ええと、両方でしょうね。子どもの命への不安、そして自分のみを危険にさらしてでも子どもを救おうとする愛です。

その通り。ここに、最高のかたちでは愛になる不安がある・・・不安として現れた愛だ。同じく、自然な感情である悲しみ、怒り、羨望はすべて、不安のかたちのひとつであり、また愛のかたちでもある。すべてはつながっているのだよ。わかるかな?

問題が起こるのは、5つの自然な感情がゆがめられたときだ。すると、感情はグロテスクになり、愛の派生物とは思えなくなる。まして、絶対的な愛である神には見えない。

質問者:5つの自然な感情のことは、前に聞いたことがあります。すばらしい知り合いのエリザベス・キューブラー=ロス博士が教えてくれたのです。

そうだな。彼女が教えるように仕向けたのは、わたしだよ。

質問者:すると、わたしが決断するときは、その決断が「どこから来たのか」が重要で、「どこから来たのか」には、いくつかの段階があるということですね。

そう、その通り。

質問者:それでは5つの自然な感情について教えていただけませんか。もう一度、聞きたいんです。

悲しみも自然な感情だ。悲しむことができるから、言いたくないときにも「さよなら」が言える。ひとは何かを失う体験をしたとき、自分のなかの悲しさを表す(外に向かって押し出す)。愛するものを失う悲しみもあれば、コンタクトレンズを失くした悲しみもあるだろう。悲しみを表すことができれば、悲しみは処理できる。

悲しいときに悲しんでいいんだよ。と言われて育った子どもは、大人になったとき、悲しみは健全だと思える。だから、とても早く悲しみから抜け出せる。「こらこら、泣いてはいけません」といわれた子どもは、大人になって泣きたいとき、苦しい思いをする。だって、泣くなと言われて育ったのだからね。だから、悲しみを抑圧する。

抑圧され続けた悲しみは、慢性的なうつになる。非常に不自然な感情だ。人びとは、慢性的なうつのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

怒りは自然な感情だ。「ノー」と断るための道具(ツール)だ。必ずしも無礼なものとは限らないし、決して他者を傷つけるものではない。

怒ることを許されて育った子どもは、大人になったときも怒りの対して健全な態度でいられる。だから、とても早く怒りから抜け出せる。怒りはよくないものだと教えられて育った子ども、怒りを表してはいけない、それどころか怒りを感じることすらいけないと言われて育った子どもは、成人後、怒りをうまく処理するのに苦労する。

抑圧され続けた怒りは、憤怒になる。非常に不自然な感情だ。人びとは怒りのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

羨望は自然な感情だ。5歳の子どもが、お姉ちゃんのように自転車に乗れるといいなと思う、その感情だ。羨望という自然な感情があるからもう一度やってみたいと思う。もっとがんばろうと思う。成功するまで諦めないぞ、と思う。羨望を感じるのはとても健全で、自然なことだ。

羨望を表すことを許されて育った子どもは、大人になったときも羨望に対して健全な態度でいられる。だから、とても早く羨望から抜け出せる。羨望はよくないものだと教えられて育った子ども、羨望を表してはいけない、それどころかうらやましいと感じることすらいけないと言われて育った子どもは、成人後、羨望をうまく処理するのに苦労する。

抑圧され続けた羨望は、嫉妬になる。非常に不自然な感情だ。人びとは嫉妬のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

不安は自然な感情だ。赤ん坊はみんな、不安を2つだけもって生まれてくる。墜落する不安と大きな音に対する不安だ。他の不安はすべて学習された反応で、環境から学び、親に教えられる。もって生まれた自然な不安の目的は、もうちょっと注意しなさいとわからせることだ。身体を安全に生きながらえさせるための注意。それは愛から生まれる。自分自身への愛だ。

不安はよくないものだ、不安を表してはいけない、不安を感じることすらいけないと言われて育った子どもは、成人後、不安をうまく処理するのに苦労する。

抑圧され続けた不安はパニックになる。非常に不自然な感情だ。人びとはパニックのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

愛は自然な感情だ。子どもが正常に自然に、制限や条件をつけず、禁忌や気まずさなしに愛を表現し、受け入れることを許されて育つと、それ以上必要としなくなる。こんなふうに表現され、受け入れられた愛の喜びは、それだけで充分だから。だが、条件や制限をつけられ、規則やしきたり、儀式や制約にによってゆがめられ、管理され、操られ、抑えられた愛は不自然になる。

自然な愛はよくないものだ、愛を表してはいけない、それどころか愛を感じることすらいけないといわれて育った子どもは、成人後、愛をうまく処理するのに苦労する。

抑圧され続けた愛は所有欲になる。非常に不自然な感情だ。人びとは所有欲のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

自然な感情が抑圧されると、不自然な反応と対応が生じる。大抵のひとは、最も自然な感情を抑圧している。だが、自然な感情はあなたがたの友人だ。贈り物だ。経験を刻み出す神聖な道具(ツール)だ。あなたがたは、生まれたときに与えられたその道具を使って、人生をうまくわたっていくべきなのだ。


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【2008/02/28 07:00】 |
究極的にはたったひとつしかない。愛だ。
わたしの見るところ、あなたは実に様々な、異なったレベルで決断している。道路で遊ぼうと決めた子どもは、死ぬという選択をしたのではない。いろいろな選択をしているかもしれないが、死ぬという選択は入っていない。母親はそれを知っている。

ここで問題は、子どもが死ぬという選択をしたかどうかではなく、死を含めて複数の結果をもたらす選択をしたという点だ。子どもはそれを知らない。その事実が見えていない。そのデータが欠けている。だから、子どもはもっと絞られた優れた選択ができないのだ。これでわかるだろう。あなたの分析は完璧だった。

さて、わたしは、あなたの選択に決して介入しない。だが、あなたが何を選択しているか、常に知っている。したがって、あなたの身に何かが起こったら、それで完璧なのだと考えればいい。神の世界では完璧でないものは何もないのだから。

あなたの人生、出会う人びとや場所、出来事はすべて、完璧なる創造者によって完璧に創出されたものだ。つまり、あなただ。わたしがあなたとして、あなたを通して創り出している。

ところで、この共同の創造行為は、意識的なプロセスにも無意識的なプロセスにもなりうる。あなたは目を見開いて人生を歩むこともできるし、何も気づかずに生きていくこともできる。眠ったままで歩くことも、目を覚まして歩くこともできる。選ぶのは、あなただ。

質問者:待ってください。様々なレベルで決断しているとおっしゃいましたね。落ち着いた人生を望むなら、自分が何者なのか、どんな自分になりたいかという考えをやたらに変えないことだ、とおっしゃった。わたしたちはみんな、様々に異なったレベルで決断しているように見えるともいわれた・・・。もっと丁寧に説明していただけますか?どういう意味なのでしょう?

あなたの望みのすべてが魂の望みと同じなら、非常に簡単だろう。あなたのなかの純粋な「霊(いのち)」に耳を傾ければ、決断はすべて容易で、結果はすべて喜ばしいものとなるだろう。なぜなら・・・霊の選択は常に最高だから。霊が選択すれば、思い直したりはしない。分析したり、評価したりもしない。選択に従って行動するのみだ。

だが、あなたは霊だけでできているのではない。身体、精神、そして霊魂の三位一体だ。それこそが栄光であり、驚異なのだ。あなたは、始終3つのレベルで同時に決断し、選択している。それが、必ずしも一致するとは限らない。

身体が何かを欲し、精神は別のものを求め、霊魂はさらに別のものを望むことは、よくある。特に、子どもはそうだね。まだ未熟だから、身体にとって「楽しい」ことと、精神にとって理に叶っていることの区別がつかない。まして、魂への影響はわからない。だから、子どもは道路に飛び出す。

そして、決して介入しない。あなたの選択も実現させるのがわたしの仕事だ(本当はあなた自身が実現させるのだが。前にも話したとおり、わたしは、あなたが実現するシステムを創ったのだから)。

あなたの選択が矛盾していて、身体と精神と霊魂の動きが一体出なければ、全部のレベルでそれぞれ創造のプロセスが進行し、結果はめちゃくちゃになる。一方、あなたが調和のとれた存在なら、選択は一致し、驚くべきことが起こりうる。子どもたちはよく、「みんな一緒」と言うね。あれが調和し、一体になった状態だと言っていい。

それぞれの意思決定のレベルのなかにもまたレベルがある。特に精神のレベルではそうだ。精神は、少なくとも論理的なレベル、直観的なレベル、感情的なレベルという3つのレベルのどれかで決断し、選択できるし、3つのすべてでも選択できる。この結果、さらにややこしい葛藤が生まれることがある。

また、感情のレベルには、さらに5つのレベルがある。つまり5つの自然な感情だ。悲しみ、怒り、羨望、不安、そして愛。さらにそのかなに、最終的な2つのレベルがある。愛と不安だ。

愛と不安は5つの自然な感情に含まれるが、どの感情も基本は愛と不安だ。他の3つの感情は、この2つから派生する。

結局、すべての考えは、愛か不安によって支えられている。これが偉大な二極性だ。原始の二元性だ。すべてはどちらかに還元される。すべての思い、思考、概念、理解、決断、選択、行動はこのどちらかに根ざしている。しかも、究極的にはたったひとつしかない。

愛だ。

実は、愛こそすべてだ。不安さえも愛の派生物であり、効果的に使われれば愛の表現になる。


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【2008/02/27 07:00】 |
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