「神との対話」 〜アセンション&意識変容〜
「アセンション」が意味するものとは!ニール・ドナルド・ウォルシュの著書「神との対話」からのメッセージが、「あなた」を思い出す機会を与えてくれることを心より祈っています。
神の愛を吸収する瞑想
質問者:どうして、そんなことができるんですか?どうすれば、できますか?

これは認識の問題だ。前にも言ったように、全的な認識の問題なのだよ。全的な認識は行動ではなく、状態だ。そうする、のではなく、そうあるものなのだ。

質問者:どうすればそうなるんですか?どうすればいいんですか?きっと、道具(ツール)があるはずですよね。

毎日の瞑想は、最良の道具のひとつだ。瞑想によって、生命のエネルギーを最高のチャクラに引き上げることができる―さらに、「目覚めた」ままで身体から離れることさえできる。

瞑想していると、身体が目覚めた状態のままで、全的な認識を経験する用意ができる。この準備ができている状態を「真の目覚め」と呼ぶ。

だが、瞑想は単なる仕掛け、あなたが言う「道具(ツール)」にすぎない。真の目覚めを経験するには、座って瞑想しなければならいとは限らない。立って行う瞑想もある。歩く瞑想もある。行動する瞑想もある。セクシュアルな瞑想もある。

この状態で立ち止まるというのは、道のなかばで足を止めること、どこかへ向かうのをやめること、何かをするのをやめること、立ち止まってその場に「いる」こと、ただその場で本来の自分でいることだ。

ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。周りをゆっくりと見回せば、通り過ぎるだけではわからなかったことに気づく。雨上がりの深々とした土の匂い。愛するひとの左耳にかかる巻き毛。遊ぶ子どもたちを見る楽しさ。この状態を経験するのに、身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めの状態だ。

この状態で歩いていれば、すべての花の香りを吸い、すべての鳥とともに羽ばたき、一歩ごとの足元の感触を実感できる。美と智恵を発見する。智恵は、美がかたちづくられるところにある。美は、すべての生命によってあらゆるところにかたちづくられている。探す必要はない。向こうからやって来る。

この状態で「行動」すれば、何をしてもそれが瞑想になり、あなたからあなたの魂への、そしてあなたの魂からすべてへの贈り物になり、捧げ物になる。

皿を洗えば、手をひたす湯の温かさを楽しみ、湯と温かさの両方に感動する。コンピュータを使っていれば、指の動きに応じて目の前のモニターに現れる文字を見て、思い通りに動く心身の力にワクワクする。夕食の支度をすれば、食べ物を与えてくれた宇宙の愛を感じ、お返しに自分の愛のありったけを食事に込める。その食事がごちそうだろうと、質素だろうと、それは構わない。缶詰のスープだって、愛によって美味になる。

この状態で性的なエネルギーの交換を経験すれば、本当の自分の最高の真実を知る。

恋人の心があなたのホームになる。恋人の身体はあなたのものになる。あなたの魂は、もう自分が他から離れているとは想像しなくなる。

準備ができたとき、あなたははっきりと目覚める。微笑がそこへ連れて行ってくれる。シンプルな微笑だ。一瞬、すべてを止めて、ただ微笑む。何かに向かって微笑むのではない。ただ、良い気分だから微笑む。心が秘密を知っているから微笑む。魂が秘密を知っているから微笑む。そのために微笑む。たくさん微笑む。その微笑が、どんな痛みも癒してくれる。

あなたは道具(ツール)を教えてくれと言う。だから教えてあげよう。呼吸しなさい。これも道具だ。

長く、深く呼吸しなさい。ゆっくりと、穏やかに呼吸しなさい。生命という無を、満ち溢れるエネルギーを、満ち溢れる愛を静かに呼吸しなさい。あなたが呼吸しているのは、神の愛だ。深く呼吸しなさい。そうすれば感じられる。深く、深く、呼吸しなさい。そうすれば、泣きたくなるほどの愛が溢れ出す。うれしくて、泣きたくなる。神に出会うから。神があなたをあなたの魂に紹介してくれるから。

一度、これを経験すれば、人生は一変する。ひとは、「山の頂上に立った」り、最高のエクスタシーを感じた経験を語る。そういう経験をすると、ひとはすっかり変わる。

質問者:ありがとうございます。わかりました。簡単なことですね。簡単で、純粋なことですね。

そう。だが、いいかな。何年も瞑想しても、この状態を経験できないひともいる。ひとがどれほど開かれているか、どのくらいの意思をもっているか、それが大事だ。それに、どんな期待ももたずにいられるか、ということも大事だね。


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【2008/04/30 21:00】 | 祈り
大いなる智恵をもっている者は、あまり寝る必要がない
質問者:眠るのは、身体が休息を必要としているからだと思っていました。

それは間違いだ。逆だよ。魂が休息を求めている。だから身体が「眠りに落ちる」のだ。

魂は身体の制約にうんざりし、重さにうんざりして、自由のなさにうんざりすると、文字通りからだから抜け出す(ときには、立ったままでも)。

「燃料を補給」しようと思うと、魂は身体から抜け出す。事実でないこと、偽りの現実、想像上の危険に飽き飽きし、つながりと確信と休息と、精神の目覚めをもう一度味わいたいと思ったときだ。

最初に身体を擁した魂は、これは非常に難しい経験だと感じる。とても疲れるのだ。とくに、新しく到着した魂は疲れる。だから、赤ん坊はしょちゅう眠っている。

再び身体に宿ったときのショックが薄れると、だんだん耐性がついてくる。そうすると、身体にとどまる時間がだんだん長くなる。同時に、精神と呼ぶ部分が忘却に落ち込んでいく。

これは、予定通りだ。魂が、前ほど頻繁ではなくても、相変わらず毎日、身体を離れて飛び回っても、精神はもう思い出に戻っていかなくなる。それどころか、魂が自由に飛び回っているとき、精神は混乱しているかもしれない。

そこで、存在全体が自問する。「わたしはどこにいるのだろう?わたしはここで何を創造しているのだろう?」この疑問のために、夢は断続的で行き当たりばったりの旅になる。ときには、怖いたびにもなる。それが「悪夢」だ。

逆の場合もある。魂はよく覚えている場所に着く。精神も目覚める。すると平和と喜びがあふれてくる。魂が身体に戻ってくると、あなたもその平和と喜びを感じる。

こうした若返りの経験を重ねると、あなたという全存在がほっとする。自分は身体に宿って何をしているのか、何をしようとしているのかを思い出すと、魂はそう頻繁には身体から抜け出さなくなる。目的と理由があって身体に宿ったことがわかるからだ。目的を追求し、そのために身体とともにいる時間を最大限に活用しようとするからだ。

大いなる智恵をもっている者は、あまり寝る必要がない。

質問者:すると、どのくらい眠る必要があるかで、そのひとの進歩レベルがわかるんですか?

だいたいはね。だいたいのところはわかる。ときには、ただ楽しむだけのために、魂が身体を離れることもあるから。精神の目覚めや身体の若返りが目的ではなく、「ひとつであるもの」を知るという無上の喜びを再創造するために、身体を離れることもある。

だから、必ずしも眠りが少ないひとほど進歩しているのでもない。

しかし、身体で何をしているのかに目覚めたひとほど(そして、自分は身体ではなく、身体とともにいるのだと気づいているひとほど)身体とともに長くいられる。だから、「眠りが少なくてすむ」ように見えるのは、偶然ではない。

ときには、身体とともにいる忘却の状態と魂の一体感を、同時に経験しようとするひとたちもいる。そういうひとたちは訓練によって、身体とともにいながら、自分の一部を身体から切り離す。こうして、人間としては目を覚ました状態でいながら、真の自分を知るという無上の喜びを経験する。



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【2008/04/29 21:00】 |
魂は毎日、身体から離れている
質問者:人生は学校のようなものなんですね。子どもの頃には、毎年、新学期に学校が始まるのが待ちきれませんでした。でも、学期末には、学校が終わると思ってわくわくしましたよ。

そうそう!そのとおり!うまいことを言う。全くそのとおりだよ。ただし、人生は学校ではないがね。

質問者:ええ、覚えています。以前は、人生は「学校」で、わたしたちはこの世に「学びに」きたんだと思っていました。1冊目の対話で、そうではないことを教えてもらって、非常に助かりましたよ。

それはよかった。はっきりとわからせてあげることが目的だから。さて、魂が必ずしも「生」を嘆いていなくても、「死」後、喜びに満ち溢れるのはなぜなのか、わかっただろう。

だが、前にもっと大きな質問をしたね。あそこに戻らなければならない。

質問者:とおっしゃいますと?

あなたは、「身体と一緒だと魂がそんなに不幸なら、どうしてさっさと離れてしまわないのだろう?」と言った。

質問者:ああ、はい、言いました。

魂は離れるのだよ。それも、前に説明した「死」の場合だけではない。だが、不幸だから離れるのではなく再生したいから、若返りたいから、身体から離れる。

質問者:すると、しょっちゅう離れるわけですか?

毎日。

質問者:魂は毎日、身体から離れているんですか?いつですか?

魂がもっと大きな経験をしたいと思ったとき。その経験で若返る。

質問者:ただ、離れるんですか?

そう。魂はいつでも身体から離れる。一生を通じて何度でも。だから、眠りというものを編み出したのだ。

質問者:眠っているとき、魂は身体から離れるんですか?

もちろん。それが眠りだ。

人生を通じて、魂は時折若返ろうとする。身体と呼ぶ運搬車をごろごろとひきずっていく燃料を補給すると言ってもいい。

身体に宿ることが、魂にとって楽なことだと思うかな?とんでもない!単純かもしれないが楽ではない!喜びではあっても楽ではない。魂にとっては、いままでで一番難しいことなのだ。

あなたには想像もつかない軽やかさと自由を知っている魂は、もう一度その状態になりたくてたまらない。

学校は好きだが、早く夏休みが来ないかな、と待ち焦がれている子どものように。道連れが欲しくてたまらなくても、ずっと他のひとといると、一人になりたいと思う大人のように。

魂は本来の状態に戻りたいと思う。魂は軽くて自由だ。それに、安らかで喜びに満ちている。同時に何の制約も苦痛もない。完璧な智恵、完璧な愛だ。

魂はこれらのすべてであり、それ以上だ。だが、身体とともにあるときには、それをめったに経験できない。だから、折り合いをつけることにした。

選んだ自分を創造し、経験するために必要なだけ、身体にとどまろう。ただし、そうしたいと思ったら、身体から離れよう!そして、眠りと呼ばれる経験を通じて、毎日それを実行している。



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【2008/04/28 21:00】 |
セックスとチャクラ
「高度」であろうとする者は禁欲せよ。という戒めは、わたしの戒めではない。それは、勧めだ。勧めはは戒めではないのに、あなたがたは勘違いをしている。

わたしの勧めとは、セックスをしないことではなくて、全体ではない(un-whole)ことはやめなさいということだった。

セックスでも、朝食でも、仕事でも、浜辺を散歩するのでも、縄跳びをするのでも、良い本を読むのでも、何をするにしても、あなた全体として、あなたの総体として行いなさい、ということだ。

低いチャクラだけでセックスをするなら、それは根のチャクラだけを働かせることであり、経験の最も栄光に満ちた部分を獲得しそこなう。だが、あなたの総体である7つのチャクラすべてを働かせて愛し合うなら、絶頂の経験をすることができる。それが、聖らかでないはずがあるだろうか?

質問者:ごもっともです。わたしも、そんな経験が聖らかでないとは想像できません。

それに、あなたの物質的身体のなかで、生命エネルギーを最高のチャクラまで引き上げなさいという勧めは、それを一番下のチャクラと切り離した方がいいという勧めでも、命令でもない。

エネルギーをハートのチャクラ、あるいは頭(王冠)のチャクラまで引き上げても、根のチャクラのエネルギーがなくなるのではない。それどころか、もし根のチャクラにエネルギーがなければ、ばらばらになる。

生命のエネルギーを高い中心に引き上げたときには、他者との性的経験を選んでもいいし、選ばなくてもいい。選ばないとしても、聖なる宇宙の法に反するからではない。その方がより「高度」だからでもない。他者との性を選んだとしても、それで根のチャクラのレベルに「落ちる」わけではない。

あなたのエネルギー、生命力をそのときに可能な最高のレベルに上げなさい。そうすれば、あなたも引き上げられる。これは、セックスをするかしないかとは全く関係がない。何をしようとも、意識を引き上げる、それが大事なのだ。

質問者:わかりました!理解できましたよ。だが、どうすれば意識を引き上げられるかがわかりません。どうすれば、チャクラを通って生命エネルギーを引き上げられるか、わからないのです。だいたい、ほとんどのひとは、そういうセンターがあることも知らないのではありませんか。

「霊性の物理学」についてももっと知りたければ、勉強するのは簡単だよ。そういう情報は以前に、非常にはっきりしたかたちで与えてある。ディーパック・チョプラの本を読んでごらん。彼は、いまの地球ではもっともわかりやすく説明しているひとりだ。彼は霊性の謎も、科学も理解している。

他にもすばらしいメッセンジャーはいるよ。身体のなかで生命力を引き上げる方法だけでなく、物質的に身体からはなれる方法を書いた本まである。

そういう本を読めば、身体から離れることがどんなに楽しいか、思い出せる。そうしたら、死を恐れないということも、理解できるだろう。二分法が理解できるようになる。身体とともにいる喜び、そして身体から離れる喜びがわかるよ。


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【2008/04/27 21:00】 | SEX
生物学的な指令は、もっと生命を生み出せということではなく、もっと生命を経験せよということだ。そして、生命の真のあり方、つまり「ひとつであるもの」として経験せよということだ
質問者:だが、性的禁欲に反対する理由が、生殖を妨げるということなら、その目的をとげたらセックスはもう必要ないということになりませんか?

ひとは生殖に対するする責任を果たすためにセックスをするのではない。それが自然なことだからするのだ。遺伝子に組み込まれているからする。生物学的な指令に従っているのだ。

質問者:確かに!種の存続のための行為に駆り立てるのは、遺伝子のシグナルですね。だが、種の存続が確保されたら、「そのシグナルを無視する」のが「高度な」あり方じゃないんですか?

あなたは、シグナルを誤解している。生物学的な指令は、種の存続を保証せよということではなくて、あなたという存在の真の性質である「ひとつであるもの」を経験せよ、ということだ。「一体」が成就された結果、新しい生命が創られるのであって、それが「一体化」を求める理由ではない。生殖だけが性的表現の理由で、セックスは「出産システム」にすぎないのなら、もう必要はないだろう。試験管のなかで生命の科学的要素を合体させることもできる。

だが、それでは魂の最も基本的な衝動が満たされない。基本的な衝動は生殖よりももっと大きなもの、本当の自分を再創造することに関係しているからだ。


生物学的な指令は、もっと生命を生み出せということではなく、もっと生命を経験せよということだ。そして、生命の真のあり方、つまり「ひとつであるもの」として経験せよということだ。

質問者:だから、子どもをつくるのはとっくにやめていても、セックスをするなといはおっしゃらないわけですね。

当然だね。

質問者:だが、子どもをつくらないなら、セックスもやめるべきだ、と言うひともいますよ。それでもなお続けるカップルは、基本的な肉体の欲求に負けているんだ、って。しかも、セックスは「高度」なことではなくて、動物的なふるまい、人類の高貴な性質にもとる行動だとも言います。

そこで、またチャクラ、エネルギーの中心の問題に戻るな。さっき、「物質的な存在のなかで、生命エネルギーを高く引き上げれば引き上げるほど、意識も高度になる」と言ったね。

質問者:ええ!それは、「ノー・セックス」というように聞こえます。

違う、そうではないよ。ちゃんと理解すれば、そうは思わないだろう。

さっきのあなたの言葉に戻って、はっきりさせようか。

セックスは決して卑しいことでも、汚れたことでもない。その考え方は、あなたがたの文化によって刷り込まれたもの、外から押し付けられたものだ。

欲求を満たす情熱的な性経験があさましいとか、粗野だとか、「尊厳にもとる(聖らかでない)」ということは、全くない。身体的衝動は「動物的なふるまい」ではない。身体的衝動は、システムに組み込まれている。わたしが組み込んだのだ。そんなふうに創ったのは誰だと思う?


しかし、身体的な衝動は、複雑な対応が交じり合った関係のひとつの要素にすぎない。あなたがたは3つの部分のすべてで、7つの中心のすべてで同時に相手に応じるとき、探し求めている最高の経験ができる。その最高の経験、それが、あなたがたが創造された目標だ!

こうしたエネルギーのどれも、聖らかでない(unholy)ものはない。しかし、そのひとつだけを選び出せば、それは全体ではない(un-whole-y)。全体ではないと、あなたは自分以下の存在になる。それが、聖らかでない(unholy)とう言葉の意味だよ。

質問者:そうか!なるほど。わかりました。


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【2008/04/26 21:00】 | SEX
性的禁欲
質問者:「進化した」というのは、どういうことなんでしょうか?何を意味しているのですか?

あなたという存在は、ミクロの宇宙(コスモ)のなかの万有(ユニバース)だ。あなたとあなたの物質的な身体は、7つの中心に凝集している生のエネルギーでできている。チャクラについて勉強してごらん。チャクラについて書いた本は何百冊もある。あれは、わたしが以前に人類に与えた智恵なのだ。低いチャクラを楽しませ、刺激するものと、高いチャクラにとっての喜びとは別だ。物質的な存在のなかで、生命エネルギーを高く引き上げれば引き上げるほど、意識も高度になる。

質問者:すると、蒸し返すようですが、独身主義の勧めのように聞こえますね。性的な情熱を表現するのはいけない、というようように思えます。意識が「高度に進化した」ひとたちは、ひととの交わりにおいて、根のチャクラ、つまり最も低い第一のチャクラを「働かせ」ないんでしょう。でも、あなたは人間のセクシュアリティは祝われるべきで、抑圧されるべきものではないとおっしゃった。

そのとおり。

質問者:すると、わからからなくなります。だって、矛盾していませんか。

世界は矛盾に満ちているのだよ、息子よ。矛盾がないことが、真実の必要条件ではない。ときには、矛盾のなかにより大きな真実がある。それがつまり、神聖なる二分法だ。

質問者:それでは、その二分法について教えてください。なにしろ、わたしはこれまでずっと、根のチャクラから「クンダリーニ(生命力)のエネルギーを引き上げる」ことが望ましい、エクスタシーなしに暮らす神秘主義者の人生を正当化する主な理由が、それでした。死というテーマからはずれますね。話をそらして申し訳ないと思うんですが・・・。

何を申し訳ながっているのかな?この対話の「テーマ」は、人間らしい人間とは何か、この宇宙での生命とは何か、だろう。それが唯一のテーマなのだから、この話ももちろん無関係ではない。

死について知りたいというのは、生について知りたいということだ。わたしたちの話が発展して、生命を生み出し、これを荘厳にことほぐ行為そのものに及ぶなら、それはそれでいい。

さて、ひとつはっきりさせておこうか。「高度に進化」したからって、必ずしも性的な表現がすべて沈黙させられ、すべての性的なエネルギーが引き上げられるわけではない。そうだとしたら、「高度に進化した」存在はいなくなってしまう。すべての発達進化が途絶えてしまうからね。


質問者:それは、わかりきったことですが。

そうだ。だから、聖らかなひとたちはセックスをしないとか、それが聖性の証だと言うひとがいたら、それは、生命の働きを理解していない。

わかりやすく説明しよう。人類にとって良いことか悪いことかを知る物差しが欲しいのなら、単純な質問をしてみるといい。誰もがそれをするようになったら、どうなるか?これは、とても簡単な、非常に正確な物差しだ。

誰もがそれをして、その結果が人類にとって究極的な恵みをもたらすなら、それは「高度に進化した」ことだ。誰もがそれをしたら人類に災厄がもたらされるなら、それはあまり「高度な」ことではないから、推奨しかねる。そう考えれば、真の<マスター>は、独身主義が<マスター>への道だとは言わない、ということもわかるだろう。

性的禁欲が「高度な道」で、性的表現は「低次の欲求」だという考えが、性的な経験を辱め、性にまつわる罪悪感や機能不全の原因になっている。



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【2008/04/25 21:00】 | SEX
悟りは、「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。
質問者:ちょっと待ってください!それは、価値判断みたいに聞こえますよ。あなたは、神は、価値判断をしないんじゃなかったんですか?

エヴェレストはマッキンリーよりも高いというのは、価値判断かね?サラ伯母さんは甥のトミーよりも年上だというのは、価値判断かな?これは価値判断だろうか、それとも観察だろうか?

わたしは高次の意識の方が「良い」とは言わなかった。実際良いわけでもない。4年生の方が1年生よりも良いわけではないのと同じだ。わたしはただ、4年生とは何かを観察しているだけだよ。

質問者:で、地球のわたしたちは4年生じゃないんですね。1年生なんだ。そうでしょう?

わが子よ、あなたがたはまだ幼稚園の年長組みにもなっていない。まだ、年少組だよ。

質問者:そう言われると、ムッとするのはどうしてなんでしょうか?人類が見下されたように感じるのはなぜなんでしょうね?

それは、あなたのエゴが自分ではないもの、自分ではない存在にどっぷりと浸かっているからだよ。殆どのひとは、観察したままを言われるとムッとする。自分がもっていたくはないものを観察された場合にはね。

しかし、何かをしっかりともつまでは、それを手放すことはできない。何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ。


質問者:受け入れないものは、変えることはできない。

そのとおり。

悟りは、「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。それが、「ありのままの存在」を引き受けるということだ。ありのままの存在、そこに自由が見出されるだろう。

抵抗すれば、相手はますます強くなる。見つめれば、相手は消える。幻のかたちを保てなくなるからだ。あなたはありのままを見る。「ありのまま」は常に変化しうる。変わらないのは、「存在しないもの」だけだ。だから、ありのままを変えたければ、それを引き受けなさい。抵抗してはいけない。否定してはいけない。否定するのは、宣言することだ。宣言するとは、創造することだ。

あることを否定するのは、相手を再創造することだ。相手をそこに据えつけることになるからだ。受け入れれば、あなたは相手をコントロールする立場になる。否定したものは、コントロールできない。だから、あなたは否定した相手にコントロールされる。

あなたがた人類の大半は、まだ幼稚園の年長組みでさえないということを受け入れたがらない。人類がまだ幼稚園生だと、受け入れたがらない。受け入れないから、いつまでもそこにいなくてはならない。

あなたがたは、自分は(高度に進化して)いないということにどっぷりと浸かっているから、本当の(進化していく)自分になれない。だから、自分で自分に逆らい、自分と闘っているのだよ。そのために、進化が遅々としている。もっと迅速に進化する道は、ないものではなく、あるものを認めることから始まる。

質問者:そして、ひとから聞かされてもムッとしなくなれば、「ありのまま」を受け入れたということですね。

そのとおりだ。あなたの瞳は青いと言ったら、ムッとするかな?

社会が高度になればなるほど、喜びも高度になる。あなたが何を「喜び」と考えるかで、進化のレベルがわかる。


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【2008/04/24 21:00】 | 自我
原始的な楽しみ
質問者:それじゃ、神は自殺したひとを罰したりしないんですか?

わたしは罰したりしない。愛するのだ。

質問者:よく言うじゃありませんか。苦しみから「逃れ」ようと、あるいは辛い状況に終止符をうとうとして自殺したひとは、「あの世」で同じ苦しみ、同じ状況にぶつかるだけで、逃れたことにも、終止符を打ったことにもならない、って。

「あの世」で経験することは、そこに入るときの意識の反映だ。あなたがたは常に自由意志をもった存在であり、選びなおせばいつでも経験を変えることができる。

質問者:それじゃ、愛するものが物質的な生命を終わらせたからといって心配しなくていい、彼らはオーケーなんだってことですか?

そう。大丈夫。彼らはオーケーだよ。

あなたがたの社会では、自分たちの倫理的構造の矛盾がわかっていないことが多い。ゆるやかに寿命を諦めるのは良いが、即効性のある方法はとんでもない、というのは矛盾だよ。

質問者:確かに、明々白々という感じがします。どうして自分でわからなかったんでしょうね?

真実を知ったら、何かしなければならなくなるからだ。それは、嫌なんだよ。だから、見てみぬふりをするしかないのさ。

質問者:でも、真実を知って何とかするのが、どうして嫌なんですか?

何とかするためには、自分の楽しみを諦めねばならない。楽しみは諦めたくないんだよ。

緩慢な死の原因の大半は、楽しいことか、楽しいことの結果だ。そして、楽しいことの大半は、身体を満足させることだ。それは、あなたがたの社会が原始的だというしるしだよ。

あなたがたの生命は、だいたい身体的な楽しみを求め、経験することを中心に成り立っている。

もちろん、どんな存在でも、楽しみを経験したいと思う。そのこと自体は、原始的でもなんでもない。いろいろな社会の違いは、何を楽しみと考えるかということだ。

ピューリタンの言うことが正しいのではないし、身体的な楽しみのすべては否定されるべきだというのでもない。ただ、もっと高次の魂の楽しみを中心にでき社会では、身体の物質的な楽しみが殆どを占めてはいない。もっと高次の社会や存在は、楽しみももっと高次なのだ。



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【2008/04/23 21:00】 |
迅速に自分を殺す自殺、ゆっくり自分を殺す自殺
質問者:ところで、気にかかっていることがあるんですが、話していただけますか?自殺についてなんです。どうして、自分の生命を終わらせることにはタブーがつきまとうんでしょうか?

本当だね。どうしてだろう?

質問者:それじゃ、自殺は悪いことじゃないんですか?

あなたを満足させるような答えはできないな。なぜなら、問い自体に間違った概念が2つ、含まれているからだ。2つの間違った全体のもとに、2つの誤りがあるからだよ。

第一の間違いは、「正邪」があるという考えだ。第二の間違いは、殺害が可能だということだ。だから、あなたの質問は、ばらばらになってしまう。

「正邪」というのは、人間の価値システムの哲学的両極であって、究極の真実とは何の関係もない。しかも、あなたがたは、自分にあうように価値観を変化させる(進化していく存在として、それは当然のことだ)。


それなのに、その段階の一歩一歩で、変化なんかさせていない、自分たちの社会が信頼できるのは、中核に変化しない価値観があるからだと主張する。だから、あなたがたの社会では、パラドックスの上に築かれているわけだ。

価値観は常に変化しているのに、変化しない価値観、そこにこそ―価値があると主張しているのだから!

このパラドックスが引き起こす問題への答えは、砂に水をかけてコンクリートをつくろうとするのではなく、砂の変化をたたえよ、ということだ。砂の城があるうちはその美しさをたたえ、潮が寄せてきて新しいかたちができたら、今度はそれをたたえればいい。

あなたがてっぺんに登れるような新しい砂の山ができたら、砂の変化をたたえ、新しいお城をつくりなさい。だが、その山も城も永続するものではなく、変化の記念碑であることを覚えていなさい。

現在のあなたの栄光たたえなさい。だが、昨日のあなたを非難しないこと。明日のあなたを排除しないこと。

「オーケー」か「オーケーじゃない」かは、一番最初の好みや想像の表現に過ぎない。

例えば自殺についても、地球上の人びとの大半はいま、自殺は「オーケーじゃない」と想像している。同じく多くのひとは、自殺を助けることも「オーケーじゃない」とまだ主張している。

どちらの場合も、「法律に反する」と言われる。そんな結論になったのは、たぶん、生命の終わりが比較的に早いからだろう。もっと長期的に生命を終わらせる行動は、結果は同じでも違法ではない。

だから、誰かが銃で自殺すれば、家族には保険金が支払われない。だが、タバコで死ねば、保険金が支払われる。医師が自殺を幇助すれば殺人だといわれるが、タバコ会社なら商売ですむ。

あなたがたの場合は、単に時間の問題らしいね。自己破壊が「正しいか、正しくないか」は、その行為が誰がしたか、そしてどれほど早く完了したかによってきますらしい。死が早ければ早いほど、「正しくない」度合いも増すのだね。死がゆっくりであれば、「オーケー」の方へ近づく。

ところが、何が本当に人道的かということになると、社会は正反対の結論を出す。

「人道的」という言葉の定義からすれば、死は短いほど良いはずだ。ところが、人道的な苦しみを神が求めていると考えるのも、また、苦しみを迅速に人道的に終わらせるのは「正しくない」と考えるのも、狂気の沙汰だ。

「人道的な行為を罰し、狂気に褒賞を与えよ」。こんなモットーは、理解に限界がある者の社会でしか考えつかないね。

だから、あなたがたは発癌物質を吸入して自分のシステムを毒し、化学物質で処理された食物を口にしてシステムを毒してシステムを毒し、呼吸する大気を汚染し続けてシステムを毒している。

何千もの異なる瞬間に何百もの異なる方法で自分のシステムを毒し、しかも、そういう物質が身体に良くないと承知している。長い時間がかかるから、この自殺は罰せられない。もっと即効性のある毒だったら、倫理と法に反すると言われる。

いいかね。迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すよりも倫理に反するわけではないよ。



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【2008/04/22 21:00】 | 自我
ダルマ(法)
どの瞬間も始まった途端に終わる。それがわからないと、その瞬間のどこがこのうえなく大切なのかわからず、平凡なひとときにしか思えないだろう。

どんな交流も、「はじまりが始まった」瞬間に「終わりが始まる」。そのことをよく考え、深く理解してはじめて、すべての瞬間の、そして人生そのものの貴重さが充分にわかるだろう。

死を理解しなければ、生命は与えられない。理解するだけではいけない。生を愛するように、死を愛する必要がある。

これが最後だと思えば、誰かと一緒のひと時が輝くだろう。どの瞬間も、経験するのはこれが最後だと思えば、計り知れないほど重いものになるだろう。死から目をそむけているから、自分自身の生命を考えなくなるのだよ。

何かを深く見つめれば、相手を見抜くことになる。何かを深く考えれば、それを見抜くことになる。そうすれば、幻想は消え、真の姿が見えてくる。そのときはじめて、本当に楽しむことができる。そこに喜びを加えることができる(楽しむ、とは、相手に喜びを加える:en-joyということだ)。

そうすれば、幻想さえ楽しめる。幻想だとわかれば、それも楽しみの半分になる!本物だと考えるから苦しみが生じる。

死もまた幻想だとわかれば、「死よ、汝の針はいずこにある?」と言える。それどころか、死を楽しむことだってできるよ!誰かの死を楽しむことさえできる。

死は決して終わりではなく、常にはじまりだ。死は閉じられたドアではなく、開かれたドアだ。生命が永遠であることを理解すれば、死は幻想で、その幻想があなたの意識を身体に集中させ、身体が自分だと信じさせていることがわかる。だが、あなたは身体ではない。だから、身体が朽ち果てても、あなたとは何の関わりもない。

死は、真の生命とは何かを教えている。生命は、避けられないのは死ではなく、移ろいゆくことだと教えている。移ろいゆく、それだけが真実だ。不変なものは何もない。すべては変わる。一瞬一瞬に、一時一時に。

これがダルマ(法)であり、ブッダだ。これが、ブッダの法(ダルマ)だ。これが教えであり、師だ。これが教訓であり<マスター>だ。すべてはひとつしかない。それをほぐしたのはあなただ。あなたの生が展開するようにと、ほぐしたのだ。

花が散るのを見て、あなたは悲しむだろう。だが、花は樹全体の一部で、変化してまもなく果実をつけるのだとわかれば、花の真の美しさが見える。花が開いて落ちるのは、樹が果実をつける準備だとわかれば、生命が理解できる。そこを注意深く見つめれば、生命とはそれ自身のメタファーであることがわかるだろう。

あなたは花ではなく、果実さえない。あなたは樹だ。あなたは、わたしのなかに深く根を張っている。わたしはあなたが芽生える土であり、あなたの花も果実もわたしに還って、わたしはさらに肥沃な土になる。こうして、生命は生命を生み、決して死を知ることはない。

質問者:美しいですね。本当に美しい。ありがとうございます。


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【2008/04/21 21:00】 | 人生
どんな魂でも、意思に反した経験が訪れることはない
質問者:生命というのは、永遠にいつまでも続くんですね、そうなんでしょう?

もちろん、そうだよ。終わりはない。

質問者:輪廻転生は事実なんだ。

そうだ。望めばいつでも、死すべきかたちに戻れるよ。「死ぬ」ことができる物質的なかたちに。「戻るかどうか」、「いつ戻るか」、それは自分で決める。

質問者:いつ去るかも決めるんですか?いつ死ぬかを自分で選ぶんですか?

どんな魂でも、意思に反した経験が訪れることはない。そもそも不可能なのだ。魂がすべての経験を創造しているのだから。魂にかけているの物は何もない。すべてをもっている。すべての智恵、すべての知識、すべての力、すべての栄光。魂は、あなたのなかで決して眠らず、決して忘れない部分だ。

魂は、身体が死ぬことを望むか?いや。魂はあなたが決して死なないことを願っている。だが、身体を離れることはなる。身体のかたちを変えて、物質的な身体のほとんどを残していく。そのかたちにとどまる目的はもうないと悟った瞬間に。


質問者:わたしたちが決して死なないことを魂が願っているとしたら、なぜ、わたしたちは死ぬんですか?

死にはしない。かたちを変えるだけだ。

質問者:そうならないようにと魂が願っているなら、どうして、そうなるんですか?

魂はそんなことを願っていない!あなたは「移ろいゆくかたち」だ!

特定のかたちにとどまっても、もう何の役にも立たなくなったとき、魂はかたちを変える。自分の意思で、喜んでかたちを変え、宇宙の車輪の上を進む。大きな喜びを感じながら。

質問者:悲しみつつ死ぬ魂はないんですか?

魂は死なないよ、決して。

質問者:いや、そうではなくて、現在の物質的なかたちの変化、つまり「死」を悲しむ魂はないんですか?

身体も決して「死なない」。魂とともにかたちを変えるだけだ。だが、あなたが言いたいことはわかる。だから、あなたがたの言葉を使って説明しようか。

「あの世」で自分が何を創造したいか、はっきりわかっていれば、あるいは死後は神のもとに戻り、一体となるというはっきりした信念をもっていれば、魂は決して「死」を悲しんだりしない。その場合の死は、輝かしい瞬間、すばらしい経験だ。魂は自然なかたち、本来のかたちに戻る。信じられないほど軽くなる。全体的な自由、融通無碍だ。「ひとつであるもの」の認識、それは至福だ。その変化を魂が悲しむことはありえない。

質問者:それでは、死は幸せな経験だとおっしゃるんですか?

そうありたいと思う魂にとっては、常に幸せな経験だよ。

質問者:魂がそんなに身体から離れたいのなら、なぜ、さっさと離れてしまわないんですか?一緒にいるのが不幸なら、どうして、もたもたしているんでしょう?

魂が「身体から離れたがっている」とは言わなかったよ。離れるときは、喜んで離れるといったのだ。それとこれとは、別のことだ。何かをしていて幸せで、それから別のことをしてまた幸せだ、というのはありうるだろう。2つめのことが楽しいからって、最初のことが不幸なわけではない。

身体とともにいる魂は不幸ではないよ。それどころか、現在のかたちのあなたといること身体とともにいる魂は不幸ではないよ。それどころか、現在のかたちのあなたといることを、楽しんでいる。しかし、そこから離れることもまた楽しいということは、充分にありうる。


質問者:死について、わたしが理解してないことがたくさんあるようですね。

そう。だから、考えたくないんだよ。しかし、人生のどんなときでも、その瞬間を意識した途端に、死と喪失について考えずにはいられないはずだ。そうでなければ、全く人生がわかっていないことになる。半分を知っているにすぎない。


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【2008/04/20 21:00】 | 人生
わたしたちはすべて一体、ひとつだ
質問者:わかりました。でも、まだこんがらがっていることが、ひとつだけあるんです。時間などというものはないとおっしゃいましたよね。すべてはいま、ここで起こっていると。そうなんですか?

そうだよ。

質問者:それに、わたしたちは宇宙の時空のつながりのなかで、「すべての時に」。異なるレベルで、あるいは様々なポイントで存在するともおっしゃった。

そう、そのとおり。

すると、わからなくなるんですよ。宇宙の時空のつながりのなかで、「わたし」のひとつが「死に」、そして別の人間として戻ったとしたら・・・すると・・・どれがわたしなんですか?いっぺんに2人の人間として存在することになりますよね。それを永遠に繰り返したとすれば(だって、そうおっしゃるんでしょう)、わたしはいっぺんに何百人もの人間になってしまう!宇宙の時空のつながりの、何百万ものポイントに何百人ものわあたしの何百万ものヴァージョンがいることになりますよ。

そうだね。

質問者:理解できませんよ。そんなこと、とても理解できない。

いや、もうあなたはよく理解している。非常に進んだ概念なのに、あなたはよくついてきているよ。

質問者:しかし・・・それが事実だとしたら、不死である「わたし」の一部は、いまという永遠のなかで、宇宙の車輪の何十億ものポイントに何十億もの違ったかたちで何十億もの方法で進化していることになる。

それも、そのとおり。それが、わたしのしていることだよ。

質問者:いやいや、わたしが言っているのは、わたしのことなんです。わたしが言うのは・・・。

あなたの言いたいことはわかっている。あなたは、わたしが言ったとおりのことを言ったのだ。混乱するのは、まだ、わたしたちがひとりではなく複数だと思っているからだよ。

質問者:え、違うんですか?

ここには、わたしたちはひとりしかいない。これまでも、ひとりしかいたことがない。そこに、気づいたんじゃなかったのかな?

質問者:それじゃ、わたしは自分に向かって話しているとおっしゃるんですか?それでは、あなたは神ではないと?

そうは言ってないよ。

質問者:それじゃ、あなたは神なんですか?

そうだね。

質問者:でも、あなたが神で、あなたがわたしなら、わたしは神・・・わたしは・・・神じゃないですか!

汝は神なり。そうだよ、そのとおり。ようやく、ばっちり理解できたじゃないか。

質問者:しかも、わたしは神であるだけじゃあい・・・すべての者だということになる。しかし・・・それじゃ、わたし以外は誰も、何も存在しないってことですか?

わたしと父とは一体であると言わなかったかな?わたしたちはみな一体であると?

質問者:ええ。でも・・・。文字通りの意味でおっしゃったのだとは思いませんでしたよ。もののたとえだと思いました。哲学的な話で、事実ではないと思ってました。

事実だよ。わたしたちはすべて一体、ひとつだ。それが、「わたしの兄弟の最も小さなひとりに対してしたのは―わたしに対してしたのである」ということの意味だ。

これで、わかったかな?

質問者:はい。

ようやく、わかったか。ようやく、やっとわかったか。

質問者:しかし、お言葉を返すようですが・・・。誰かと一緒にいるとき、例えば妻や子どもたちといるとき、わたしと彼らは別人だと感じます。彼らは「わたし」じゃないと思うんですが。

意識とはすばらしいものだ。何千にも何百万にも、分割することができる。わたしは、無限の「欠片」に自分を分割した。それぞれの「欠片」が自分を振り返り、自分は何者かと考えられるように。

質問者:しかし、なぜ、わたしはこの忘却の期間、不信の期間を通らなくてはいけないんでしょうか?だって、まだ完全には信じられないんですよ!まだ、忘却のなかをうろうろしているんだ。

そう、自分に厳しくなくていい。それもプロセスの一環だから。それでいいのだよ。

質問者:それでは、どうしていま、教えてくださるんですか?

それは、あなたが楽しめなくなってきているからだ。人生がもう楽しいみではなくなり始めているからだ。あなたは、プロセスに足を取られ、それがプロセスに過ぎないことを忘れかけている。

だから、あなたはわたしを呼んだ。来てくれと頼んだ。理解を助けてくれ、偉大な秘密を明かしてくれと求めた。あなたが自分に隠し続けている、本当のあなたは何者かという真実を。

だから明かしてあげたのだよ。これで、あなたは再び思い出した。それが意味をもつだろうか?あなたの明日の行動を変えるだろうか?

傷ついた者を癒し、不安におののく者をなだめ、貧しいもののニーズを満たし、成就した者のすばらしさを祝い、あらゆるところにわたしのヴィジョンを見るだろうか?

いま、真実を思い出したことで、あなたの人生は変わるだろうか?他の者の人生を変えてやれるだろうか?それとも、また忘却に戻るかな?身勝手に陥り、この目覚めの前に考えていたちっぽけな自分に再び戻って、そこにとどまるだろうか?どっちになるだろうね?



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【2008/04/19 21:00】 |
魂の最大の望みは、自分自身のさらに高い側面を経験することだ
質問者:どんな物質的なかたちでもいいんですか?それじゃ、動物に戻る魂もありうるわけですね。メウシが神かもしれないんですね?つまり、聖なるメウシですか?聖なるメウシか!

(えへん)

質問者:すみません。

どうも、あなたは一生、お笑いを演じてきたようだな。その点ではなかなかいい線をいっているよ。

質問者:まいったな。一本、とられましたね。シンバルでもあったら、ジャーンと打ち鳴らすところだな。

ありがとう。さて、真面目な話だがね、ご同輩・・・。

あなたの基本的な質問、つまり魂は動物そして戻れるかという問いの答えは、もちろんイエスだ。だが、実際問題として戻るだろうか?たぶん、それはないだろうな。

質問者:動物には魂があるんですか?

動物の目を見つめたことがあれば、わかるはずだ。

質問者:それじゃ、うちのネコがおばあちゃんの生まれ変わりではないと、どうしたらわかるんですか?

わたしたちが話しているプロセスは進化だよ。自己の創造であり、進化だ。進化は一方向に進む。上へ。とにかく上へ。

魂の最大の望みは、自分自身のさらに高い側面を経験することだ。だから、ニルヴァーナと呼ばれる場所、存在のすべてとの全的な一体化を経験するまで、決して下には向かわず、常に進化の過程の上へ向かう。存在のすべて、つまりわたしと一体化するまで。

質問者:でも、魂がもっともっと高い自分を経験したいと願っているなら、どうして、わざわざ人間に戻ったりするんですか?それじゃ、「上へ」向かうことにはならないんじゃありませんか。

魂が人間のかたちに戻るとしたら、それは、さらに進化するためだよ。人間という存在の進化レベルは、実に様々だ。ある者は何度も何百回も人生をやり直しながら、上に向かって進化していく。だが、魂の最大の望みである上昇は、低位の生命のかたちに戻ったのでは達成できない。だから、そこへ戻ることはありえない。魂がついに存在のすべてと再開し、ひとつになるまでは。

質問者:それじゃ、毎日、システムに「新しい魂」が参加して、低位の生命のかたちをとるんですね。

いや。すべての魂は、いっぺんに創られている。すべてがいま、ここにある。

魂はまた、特定のレベル、特定の生命のかたちで「リサイクル」することもできる。もし、輪廻転生がなく、物質的なかたちに戻れなければ、魂は成し遂げたいと思うすべてを一生で成し遂げなければならない。一生とは、宇宙の時計で測れば、一瞬のそのまた10億分の1よりも短いのだよ。だから、もちろん輪廻転生はある。それが真実であり、目的にかなっており、完璧なのだ。



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【2008/04/18 21:00】 | 人生
パラマハンサ・ヨガナンダとベイブ・ルース
さて・・・あなたがたの人生の要、目的は、本当の自分とは何かを決定し、本当の自分になることだ。それを、毎日実行する。それが、あなたがたの営みだ。経験する本当の自分に喜びを感じていれば、あなたがたはその創造にこだわり、少しずつ修正しながら、完成に近づいていく。

パラマハンサ・ヨガナンダは、自分が考える真の自分の「完成」に極めて近づいた人物だ。彼は自分自身について、またわたしとの関係について、明確な考えをもっており、生涯をかけて、それを「外観に向かって表現」した。彼は自分の現実のなかで自分自身を経験し、自分自身を知ろうとした。

ベイブ・ルースも同じだよ。彼も、自分自身について、またわたしとの関係について、明確な考えをもっていて、生涯をかけて、それを外界に向かって表現した。このレベルの生き方をしているひとは、そう多くはいない。確かに、ヨガナンダのような<マスター>とベイブ・ルースでは、自分自身についての考え方は全く違うが、それでも、2人はそれを外界に向かって見事に表現して見せた。

2人はまた、わたしについての考えも全く違っていた。それは確かだ。わたしが何者かについても、わたしとの真の関係についても、意識レベルが全く違っていた。ひとりは生涯の殆どを平和で穏やかな場所で過ごし、ひとにも深い平和と穏やかさをもたらした。

もうひとりは心配したり、動揺したり、しょっちゅう腹を立てたりした(特に、思い通りにならないときは怒った)し、周囲のひとたちの人生を動揺させた。

だが、どちらも善良な心の持ち主だった。ベイブ・ルースほどやわらかな心の持ち主はなかったよ。両者の違いは、ひとりは肉体的には文字通りゼロであり、また自分がもっている以上のものは望まなかったのに対し、もうひとりは「すべてをもって」いたのに、本当にほしいものはついに手に入れられなかったことだ。

ベイブ・ルースことジョージ・ハーマンの生涯がそれで終わりなら、悲しむべきことだろうが、しかしベイブ・ルースの身体に宿っていた魂は、進化と呼ばれるプロセスを終わったわけではない。自分のために創り出した経験や、他人にさせた経験について見直し、もっともっと大きなヴァージョンの自分を創り出していくために、今度はどんな経験をするか決めているのだよ。

この2つの魂の話は終わりにしよう。事実、2人は次の経験をしている最中だからね。

質問者:というと、2人は別の身体に転生したっていうことですか?

転生、つまり別の物質的な身体に戻ることだけが選択肢だと考えたら、間違いだろうね。

質問者:他の選択肢と言いますと?

実は、彼らは何でも好きなものになれる。「死」と呼ばれる出来事の後に何が起こるか、もう説明したね。もっといろいろと知りたいと思う魂もある。そんな魂は、他の魂が(「古い魂」と言ってもいい)教える「学校」へ行く。そこで、何を教わるか?教わるべきことは何もない、ということを教わるのだよ。何も教わる必要はない。ただ、本当の自分とは何者かを思い出せばいい。

彼らは、本当の自分を経験するには行動化し、自分になればいいと優しく示されて、思い出す。


他の魂はすでに、(あるいは「あの世」に到達してまもなく)このことを思い出している(わかりやすいように、できるだけあなたの慣れている言葉で、話しているのだよ)。そのような魂は、なりたい「存在」になる喜びをすぐに経験したいと思う。彼らは、数百万、数千万ものわたしの側面のどれかを選んで、その場でそれを経験する。その経験のために物質的なかたちに戻ることもある。




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【2008/04/17 21:00】 |
お詫び
今月のブログ投稿の中でシステム上のミスにより、一部アップがされていない日にちが数日ありました。

ご迷惑をおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。

アップされていなかった日にちのものもアップ完了しておりますので、是非ご覧ください。


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【2008/04/16 23:59】 | ブログ管理者のコメント
永遠の旅
質問者:教会が、輪廻転生を偽りだと宣言したのも当然ですね。

そうだよ。だが、あなたがたを創造したとき、わたしは、一度の生涯しか送れないようには創らなかった。そんなのは、宇宙の年齢に比べれば無限に小さな時間でしかない。

その僅かな間に、必ず犯す間違いを犯し、それから最善を望むには短すぎる。そうしてみようかと考えないでもなかったが、それでは、自分の目的がどこにあるのかわからなくなる。

あなたがただってわかっていない。だから、「神の働きは謎だ。神の驚異は成就される」と言う。だが、わたしは謎の働きはしていない。わたしのすることにはすべて理由があり、その理由は極めてはっきりしている。

輪廻転生はわたしの目的にぴったりだ。あなたがたの度重なる生涯を通して、さらにわたしが宇宙に置いた何百万もの被造物を通して、本当の自分を創造し、経験すると言う目的に。


質問者:それじゃ、別のところにも生命がある・・・。

もちろん、あるとも、この巨大な宇宙にいるのがあなたがただけだと、本当に思うか?しかし、その話はいずれする。そう約束しよう。そこで、あなたがたの魂の目的とは、存在するすべてとしての自分を経験することだ。わたしたちは進歩する。わたしたちは・・・なりゆく者だ。

何になるのか?それはわからない!到着するまでは、わかりはなし!だが、わたしたちにとって、この旅は喜びだ。そして「そこに到達」し、真の自分についての高い考えを創造した途端に、さらにもっと多いな思考、もっと高い考えを創り出す。こうして旅は永遠に続く。聞いているかな?

質問者:聞いてますよ。もう、一字一句繰り返せるくらいです。

よろしい。



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【2008/04/16 21:00】 |
とある宗教、信者をつなぎとめるために・・・
質問者:どうしてですか?どうして、教義がそれほど脅かされるんですか?

教会は、善行を積め、さもないと・・・と脅していた。そこへ、輪廻転生をとくものが現れて、「このあとにもチャンスはあるし、さらにそのあとにもチャンスはある。まだまだ、チャンスはあるのだよ。心配しなくていい。ベストを尽くしなさい。恐怖にすくむことはない。今度はもっとがんばろうと決心して、進めばいい」と言った。

当然、初期の教会はそんなことに耳をかすはずがない。だから、2つの行動に出た。告解は教会に輪廻転生の教義は異端だと否定した。それから、告解の秘蹟を編み出した。告解は教会に通うものにとって、輪廻転生と同じことを約束してくれた。つまり、もう一度チャンスをくれたのだよ。

質問者:そこで、告解、つまり懺悔(ざんげ)をしない限り、神の罰を受けるという考え方が出来上がったんですね。懺悔をすれば大丈夫、神が懺悔を聞いて赦してくださる、と。

そう。だが、そこに落とし穴があった。罪の赦しは、直接神から来るのではなかった。教会を通じて与えられた。「罪の償い」にこうしなければならぬと聖職者が言い渡したのだ。普通は、罪人は祈りなさいと言われた。これで、教会員をつなぎとめておく理由が2つできたわけだ。

告解が良い切り札だと気づいた教会は、まもなく告解をしないのは罪だと宣言した。誰でも、少なくとも年に1度は告解をしなければならない。もし、しなければ、神の怒りに触れる理由がまた増える。こうして、教会は次々にルールをこしらえた。殆どは恣意的で気まぐれな規則だが、どれも神の永遠なる断罪の力を盾にしていた。もちろん過ちを懺悔すれば神に赦され、罪はまぬかれた。

ところが、別の問題が生じた。それなら、懺悔すれば何をしてもいいのだろう、と人びとが考えた。教会は困ってしまった。人びとの心から不安と恐れが消えたからだ。ひとは教会に通わなくなり、教会費が激減した。年に1度「告解」をしにやって来て、悔い改めて祈りを捧げ、罪を浄めてもらって、またいつもの暮らしに戻ってしまう。問題は明らかだった。もう一度、人びとの心に不安を恐れを叩き込まなければならない。そこで、煉獄が考え出された。

質問者:煉獄ですか?

煉獄だ。そこは地獄と似ているが、ただし永遠ではない。この新しい教義は、たとえ懺悔しても神はあなたの罪を罰するのだと宣言した。この教義では、神は不完全な魂のそれぞれに、犯した罪の数と種類に応じた苦難を言い渡す。「大罪」と「軽い罪」とがあった。

大罪を犯して、死ぬ前に懺悔しなければ、即座に地獄行きだ。

こうして、また教会に通うひとは増えた。集まる金も増えた。特に献金が増えたね。煉獄の教義には、金を払えば苦しみをまぬかれるという方法も含まれていたからだ。

質問者:はあ・・・?

教会の教えによれば、特別の免罪符をもらうことができる。ただし、これも神から直接ではなく、教会のお偉い方を通してだけ入手できる。この免罪符があれば、犯した罪の「報い」である煉獄の苦しみをまぬかれる。少なくとも、軽減される。

質問者:「態度神妙なるにつき、減刑」というわけですね?

そう。もちろん、減刑してもらえる者はごく僅かだ。大体は、教会に大金を寄付したものだな。本当に膨大な献金をすると、全免償というものをもらえる。煉獄にとどまる必要が全くなくなる。天国への直通切符だ。

この神からの特別の恵みが得られるのは、さらに僅かだ。王族かな。それに、超がつく金持ちだ。この全免償と引き換えに教会の懐に入った金や宝石、土地は膨大なものだった。

だが、こういう特権から諦め出された大衆(mass)には、欲求不満と恨みがつのった。(mass)と言っても、ミサ(mass)のことじゃないよ。

貧しい農民は司教から免償をもらうことは望めなかった。だから、一般信者はこのシステムへの信頼を失い、教会に通うものはまた減りそうになった。

質問者:で、今度は何をしたんですか?

「9日間の祈り」のロウソクを考え出した。

教会に行って、「煉獄にいる哀れな魂」のためにロウソクを1本ともし、「9日間の祈り」を捧げると(これは決まった順序であげる祈りで、かなりの時間がかかる)、亡くなった愛する者の「刑期」を何年か減らすことができる。死者はもともと神が定めたよりも早く、煉獄から出られるわけだ。

人びとは自分のためには何もできないが、少なくとも亡くなった者のために祈れるようになった。もちろん、ロウソクがともされるたびにコインが1枚か2枚、献金されれば、それも役立つだろう。たくさんの赤いガラスの向こうで、たくさんの小さなロウソクがちらちらともり、たくさんのコインが献金箱に落とされた。みんな、煉獄にいる魂にかした苦しみを、わたしに「軽減」させたいからだ。

質問者:まさか!驚いたな。それで、人びとはそのカラクリに全然気づかなかったんですか?それもこれも、教会の必死の試みで、教会は彼らが神と呼ぶ「ならず者」から身を守ろうと必死な信者をつなぎとめておこうと必死なのだ、ということがわからなかったんでしょうか。

そう、そのとおり。



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【2008/04/15 21:00】 | 宗教
不安を利用してひとをコントロールしようという試みだ
質問者:随分、たくさん話をしましたね。実にいろいろな話が出ました。この辺で話題を変えてもいいですか?

あなたは、いいのかな?

質問者:ええ、やっと、調子が出てきました。この3年間、聞きたかった質問をみんな、したいんです。

それならいいよ。どうぞ。

質問者:ありがたい。それでは、もうひとつの神秘的な謎、輪廻転生について、教えていただけますか?

もちろん。

質問者:輪廻転生なんてインチキな教義だと言っている宗教もたくさんありますね。人生は一度だけだと。

知っている。それは正しくないな。

質問者:だけど、こんなに重要なことを、どうして間違えるんでしょうか?

人間には不安をよりどころにした宗教がたくさんあって、崇拝され恐れられる神を中心にした教義が説かれている。まず、そこを理解しなくてはいけないよ。

地球の社会が母系制から父系制につくりかえられたのは、不安を通してだった。最初の聖職者たちも、人びとの「邪(よこしま)な生き方を改め」させ、「神の言葉に従わせ」るのに、不安を利用した。教会は不安を利用して教会員を獲得し、コントロールしたのだ。ある教会などは、毎週日曜日に教会へ通わなければ神の罰を受けるとさえ主張した。教会へ通わないことは罪だと宣言してね。

それも、ある特定の教会に通わなければいけないという。違う宗教の教会へ行くことも罪なのだ。これは単純素朴に、不安を利用してひとをコントロールしようという試みだ。

驚くのは、この方法が有効だったということだな。くそったれめ(hell)、まだ、有効なんだよ。

質問者:ちょっと、ちょっと、あなたは神さまでしょう。汚い言葉はやめましょうよ。

誰が汚い言葉を使った?わたしは、事実を言ったまでだよ。hell'地獄がまだ有効だ、とね。神が人間と同じように情け容赦がなく、自分勝手で、狭量で、復讐心が強いと信じている限り、ひとはいつまでも地獄を信じ、地獄に落とす神を信じるだろう。

昔、殆どのひとは、そんなことをすべて超越した神が想像できなかった。だから、「復讐心の強い恐ろしい神を畏れよ」という教会の教えを受け入れたのだ。

ひとはもともと善であり、適切に行動する、それが理にかなっているということが、信じられなかったらしい。だから、自分を律するために、神は怒り、罰を与えるという教義を教える宗教を創り出さなければならなかった。輪廻転生という考え方をすると、その教義がめちゃくちゃになるからね。



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