「神との対話」 〜アセンション&意識変容〜
「アセンション」が意味するものとは!ニール・ドナルド・ウォルシュの著書「神との対話」からのメッセージが、「あなた」を思い出す機会を与えてくれることを心より祈っています。
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ブログの更新が遅れて申し訳ありません。
しばらくお休みをいただきます。

突然で申し訳ありませんが、できるだけ早くの再開を考えております。
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(2002/06)
ニール・ドナルド ウォルシュ

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【2008/05/28 21:00】 | ブログ管理者のコメント
結婚の誓いは、神聖ではない。
質問者:やれやれ、そんなふうには考えたことがなかったな。結婚というのは、究極的な愛の宣言だと思ってましたよ。

確かにそう想像したのだが、できあがったものは違った。できあがったのは、究極的な不安の宣言だ。

結婚が無制限で永遠で自由な愛につながるなら、それは究極的な愛の宣言だ。だが、いまのあなたがたは、自分の愛を約束か保証のレベルにまで引き下げようとして結婚する。

結婚は「いまの状態」が永遠であることを保証しようとする努力だ。保証がいらなければ、結婚も必要ない。


その保証をあなた方は何に使うか?

第一に、安全を保障する手段として使う(自分自身のなかに安全を求めるかわりに)。第二に、その保証が永遠に続きそうもないと、相手を罰する手段として使う。いまでは、結婚の約束が破られると裁判が起こされるね。こうして、あなたがたは結婚がとても役に立つものであることを発見した。

ただし、全く間違った理由で。

結婚はまた、お互いへ抱くような感情を決して他人にはもたないと保証しようとする試みでもある。少なくとも、同じ方法で表現しないと保証する試みだね。


質問者:つまり、セクシュアルに。

つまり、セクシュアルに。最後に、いまのあなたがたの結婚は、「この関係は特別だ。わたしはこの関係を他のすべての上に置く」と言明することだ。

質問者:それのどこがいけないんですか?

別に。これあ正邪の問題でないよ。あなたがたにとって役立つかどうか、それが問題だ。

本当の自分が、「この関係、いまここにあるただひとつの関係が、他のすべてに比べて特別だ」と言うのなら、結婚という仕組みは完全にその目的に叶っている。

だが、面白いことに、霊的な<マスター>と認められているひとたちは、ほとんど結婚していないはずだよ。

質問者:ええ、<マスター>というものは独身だからですね。セックスしないんだ。

そうじゃない。<マスター>はいまの結婚という仕組みに、誠実に真摯に従うことはできないからだ。つまり、ひとりの人間が他の誰よりも特別だとは言えないからだよ。<マスター>はそんなことは言わない。神もそんなことは言わない。

いまのあなたがたの制度では、結婚の誓いで、非常に神らしからぬ宣言をしている。なのに、神聖な約束のなかでも特に神聖だと感じられているのは皮肉だね。

あなたがたは、神が「選ばれた民」に「約束」をした、神と神に愛された人びととの盟約は特別だ、と言う。

だが、神なら、決してそんな約束はしない。


あなたがたは、神が誰かを特に愛することはないという考えに耐えられない。だから、神が特定の理由で特定の人びとだけを愛するというフィクションを創り出した。

そのフィクションを、あなたがたは宗教と呼ぶ。わたしならそれを冒涜と呼ぶね。神が誰かを特に愛すると考えるのは、そして、それを表す儀式は聖典ではなく神聖冒涜だ。


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ニール・ドナルド ウォルシュ

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【2008/05/27 21:00】 | 恋愛/人間関係
結婚とは安全保障
質問者:なぜでしょう?難しいとわかっていて、わたしたちはなぜ結婚を望むのでしょうか?

それは、愛に「永続性」あるいは永遠をもたらしてくれる方法として、唯一考えついたのが結婚だからだ。女性にはサポートや生存が保証される唯一の方法で、男性には常にセックスと連れ合いを保証してくれる唯一の方法だからだよ。

だから、社会的なしきたりが創られた。取引が成立した。あなたがこれをくれれば、わたしはこれをあげる。まるでビジネスだね。

契約を交わすには履行を強制する力を必要だから、神との「神聖な盟約」だということにした。破ったら、神に罰を受ける。その後、それではうまくいかなくなったので、人間がつくった法で強制することにした。ところが、それさえもうまくいかなくなった。

質問者:どうして、そんなことになるんでしょう?

そういう誓いはふつう、唯一重要な法に矛盾するからだ。自然の法則に反するのだよ。

質問者:しかし、「ひとつである」こと、それを表現するのが、生命あるものの自然でしょう。わたしはそう理解したんですが?結婚とは最も美しい表現ではありませんか。「神が結びたもうたものは、人間が離すことはできない」と言うじゃありませんか。

大半の結婚は、とくに美しくもないね。それは、人間の自然な真実の3つの側面に反するよ。

質問者:もう一度、説明していただけますか?ようやく、わかりかけてきたようです。

よろしい。もう一度、順番に繰り返そう。

あなたがたは愛である。愛は無制限で永遠で自由である。したがって、あなたがたもそうだ。それが、あなたがたの本来の性質だ。あなたがたはもともと、無制限で永遠で自由なのだ。

さて、あなたがたの本来の性質を踏みにじる、あるいは押さえつける人工的な、社会的、倫理的、宗教的、哲学的、経済的、政治的な機構はすべて、あなたがたの真の自己を侵害する。だから、あなたがたは強い不満を抱く。

例えば、アメリカという国はどのように生まれたか。「自由を、しからずんば死を与えよ」ではなかったか?

ところが、国民はその自由を放棄し、あなたがたは人生の自由を放棄した。

どちらも同じ目的のため、安全保障のためだ。あなたがたは人生を―生命そのものを―恐れるあまり、自分の本来の性質を安全保障と引き換えに放棄したのだ。

結婚という制度は、安全を保障しようとする試みだ。政府と同じだね。実は、両方の内容は同じなんだよ。お互いの行動を律しようとする人工的な社会制度だ。


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【2008/05/26 21:00】 | 恋愛/人間関係
神は軍配をあげない
質問者:なるほど、わかりました。だが、どうも脱線したような感じなんですが。そもそも、わたしが愛についてお尋ねしたのが発端でした。人間はいつか、制約なしに愛を表現できるようになるのかと。それから、「開かれた結婚」に話題が発展したんです。それが急に、脱線してしまいましたよ。

そうでもない。いま話したことはみんな関係ある。それに、「進んだ」、つまり高度に進化した社会に関する話の手はじめとしてもぴったりだ。高度の進化した社会では、「結婚」も「ビジネス」もない。いまのあなたがたの社会をまとめておくために創り出された人工的な社会機構は何もなくなる。

質問者:そうですね、そのこともすぐにお聞きしたいと思います。それでも、いまはこの問題に決着をつけたいんですが。あなたは、とても興味深いことをおっしゃいました。要するに、ほとんどの人間は約束を守れないし、だから守るべきでもない、そういうふうに解釈したんです。そうすると、結婚という制度(institution)に大きな風穴があきますよ。

「施設(institution)」と言ったね。その言葉は気に入ったな。結婚しているひとのほとんどは、施設に入っているような気分でいるだろう。

質問者:そう、精神障害社用の施設か矯正施設か、というところですね。少なくとも、上級学習施設かな。

全く、そのとおり。ほとんどのひとは、そういう経験をしている。

質問者:いやあ、冗談なんですけどね。だいたい「ほとんどのひと」ということはないでしょう。いまだって、何百万人もの人びとが、結婚という制度を愛し、守ろうとしていますよ。

それには異議があるね。ほとんどのひとは結婚で苦労しているし、その経験を好ましいとも思っていないよ。世界中の離婚統計がそれを物語っている。

質問者:すると、結婚制度は廃止すべきだとおっしゃるんですか?

わたしはどうすべきだとか、すべきでないとかは言わない。ただ―。

質問者:わかってます、わかってますよ。観察しているだけ。

ブラボー!あなたがたはいつも、どちらかに軍配をあげる神を求めるが、わたしはそうではない。そういう神を求めるのをやめてくれて、ありがたいな。

質問者:いやあ、結婚制度に風穴を開けただけじゃなくて、宗教にも風穴があいてしまいましたね!

神は軍配をあげないことを人類すべてが理解すれば、宗教が存在できなくなるのは事実だね。宗教の目的とは、神がどちらに軍配をあげるかを言明することだから。

質問者:あなたがどちらにも軍配をあげないのなら、収容は偽りに違いない。

それは厳しい言葉だな。わたしなら、フィクションと呼びたいね。あなたがたがでっちあげたものにすぎない。わたしは結婚制度を望んでいない。だが、あなたがたは望んでいるらしいな。



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【2008/05/25 21:00】 |
7倍返ってくる
質問者:ビジネスの世界でも同じですか?ビジネスの世界で、そんなやり方が通るものでしょうか?

それどころか、正気でビジネスをしようと思うなら、それが唯一の方法だ。

いまのあなたがたの社会の問題は、力を基盤としていることだ。法律的な力(「司法の力」とあなたがたは言う)や、物理的な力(「軍事力」だね)に始終訴える。あなたがたはまだ、説得の術を使いこなすことを覚えていない。

質問者:法律的な力、つまり裁判所を通じた「司法の力」を使わないとしたら、どうやって企業を「説得」して、契約や合意を守らせるんですか?

あなたがたのいまの文明の倫理では、他に方法はないかもしれない。だが、文明の倫理が変化すれば、いま企業に(個人に)合意事項を履行させている方法は、非常に原始的に見えてくるだろう。

質問者:もっと説明してくださいますか?

いまは、あなたがたは力で合意事項を履行させている。だが、文化的倫理が変化して、すべては「ひとつ」であるという理解が行きわたれば、決して力は使わないだろう。それでは、自分に被害を与えることになるからだ。右手で左手をたたくようなことはすまい。

質問者:左手が自分の首を絞めてもですか?

そんなことも起こらなくなる。自分の顔が醜くて鼻に噛み付くようなまねはしなくなるよ。合意を踏みにじったりもしなくなる。合意そのものが、いまとは随分違ったものになるだろう。

いまは相手が価値のあるものをよこすときだけ、自分も価値のあるものを与えると合意する。しかし、そんなことはなくなるだろう。

与えるのも分け合うのも自然になるから、契約を破るとか破らないというより、、契約そのものがずっと少なくなる。

契約とは、モノやサービスの交換についての取り決めでだが、交換があろうがなかろうが、モノやサービスを与えるようになる。

そうなれば、一方的に与えることが救いになる。そのとき、神が経験したことに気づくからだ。つまり、ひとに与えるのは自分に与えることだ。行ったものは戻ってくる、と。

質問者:自分から出ていたったものはすべて、自分に戻ってくるんですね。

7倍になって。だから、何を「取り戻せる」か、心配しなくていい。何を「与える」かだけを考えていればいい。生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることだ。

あなたがたは、忘れている(forgetting)が、人生は得るためにある(for getting)のではない。姓名とは、与えるために(for giving)あるし、そのためには、ひとを赦す(forgiving)必要がある。特に、期待したものをくれなかった相手を赦さなければならない。

そうなると、あなたがたの文化の物語は一変するだろう。

現在の文化で言う「成功」は、どのくらい自分が「得た」かで測られている。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られているのだ。新しい文化では、「成功」はどのくらいひとに「蓄積」させたかで測られる。

皮肉なことに、ひとに蓄積させればさせるほど、あなたも苦労なく蓄積することになる。

「契約」も「合意」も「取引」も「交渉」も、与えるという「約束」の履行を強制し合う訴訟も法廷もなくなる。

未来の経済では、個人的な利益目当てではなく、個人的な成長を目的にものごとを行うようになる。それが自分の利益だからだ。自分が大きく立派になれば、物質的な「利益」はあとから自然についてくる。

そうなれば、与えると「言った」のだから与えろと共生するのは、非常に原始的なやり方に見えてくるだろう。相手が合意を履行しなかったら、好きなように選択させるだろう。

相手が与えなくても、あなたが失うわけではない。「それが来たところにはもっとたくさん」あることを知っているし、その源というのはあなたがもっている何かではなく、あなた自身だからだ。


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【2008/05/24 21:00】 | 自然&宇宙法則
約束を破る理由
質問者:だから、約束を守るのが難しいんですか?

それも、理由のひとつだ。前に言ったとおり、未来を予測できるようになるまでは、約束などできないのだよ。約束を守るのが難しい2つめの理由は、誠実さとぶつかるからだ。

質問者:と、おっしゃいますと?

本当の自分はいつもこうだと言っても、その後に変わる。だから深い葛藤が生じる。どちらに従うべきか。本当の自分か、約束した自分か?

質問者:どうすればいいのか、アドバイスをお願いします。

他人を裏切らないために自分を裏切ること、それも裏切りだ。それは最高の裏切りだ。

質問者:でも、それでは、そこらじゅうで約束が破られてしまいますよ!誰のどんな言葉も意味をもたなくなってしまう。誰も信用できなくなってしまうじゃありませんか!

ほう、あなたはひとが約束を守ると信用していたのか?みじめだったのも無理はないな。

質問者:どうしてみじめだったとおっしゃるんです?

いまの自分、いまの行動が幸せだった結果だと思うかい?

質問者:いいです、わかりましたよ。確かにみじめだったときもあります。

大部分はみじめだっただろう。どこから見ても幸せなはずのときですら、あなたは自分をみじめにした。本当に幸せでいられるのかと心配したからだ!そんな心配をせずにいられなかったのは、あなたの「幸せ」が、ひとが約束を守ってくれるかどうかで決まったからだ。

質問者:すると、約束を守ってくれると期待する(少なくとも願う)権利もないとおっしゃるんですか?

どうして、そんな権利が欲しい?

ひとがあなたとの約束を破るたったひとつの理由は、もう約束を守りたくないからだよ。あるいは、もう守れないと感じるからだ。

同じことだが。ひとがあなたとの約束を守りたくない、あるいは守れないと思っているのに、どうして守らせたいと思うのだね?

本当に、相手が守りたくない約束を守らせたいかな?本人がしたくないことを強制するべきだと、本当に思うか?どうして、本人の意思に反することを強制したがる?

質問者:ええと、こういうことじゃないですか?誰かが約束を守らなければわたしが傷つく、あるいはわたしの家族が傷つく。それを放っておくことになるからです。

すると、傷つくのを恐れて、ひとを傷つけるわけだ。

質問者:約束を守ってもらうのが、傷つけることになるとは思いませんが。

しかし、向こうは傷ついたと思うだろうね。そうでなければ、約束を守っていたはずだ。

質問者:すると、相手が約束を守って傷つくのを避けるためには、自分の子どもや家族が傷つくのを見ているべきなんですか?

ひとに無理やり約束を守らせて、それで自分たちは傷つかずにすむと思うか?

いいかね。自由に好きなように行動しているひとよりも、静かに絶望の人生を送っているひと(つまり、「しなければならない」ことをしているひと)のほうが、ずっと大きな被害を与えてきたのだよ。

自由を与えれば、危険はなくなる。危険が増大することもない。

確かに、相手を約束やコミットメントの「くびきから解放」してやれば、その当座は自分が傷つくと感じるだろうが、長い目で見れば決して被害を受けていない。

相手に自由を与えれば、自分も自由になれるのだから。自分も苦しみや悲しみから解放され、尊厳や自尊心を傷つけずにすむ。ひとに無理やり約束を守らせれば、必ず自分の尊厳や自尊心が傷つく。

長期的な被害のほうが、当面の被害よりもはるかに大きい。ひとに約束を守らせようとしたことがある者には、きっとわかるはずだが。




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【2008/05/23 21:00】 |
すべての理由を知っている
あなたがたが生命と呼んでいるプロセスは、再創造(re-creation)のプロセスだ。生命はすべて、瞬間、瞬間に自らを再創造し続けている。

このプロセスでは、同一は不可能だ。何かが同一だったら、変化しないということだから。だが、同一は不可能でも、類似は不可能ではない。


類似と言うのは、以前と驚くほど似たヴァージョンを創り出すという変化の結果だから。創造が高いレベルの類似に達したとき、あなたがたはそれを同一と呼ぶ。あなたがたの限られた視点から大雑把に見れば、同一なのだ。

したがって、人間の目には、宇宙は偉大な不変性を保っているように見える。つまり、同じように見え、同じように行動し、同じように反応している。あなたがたは、それを不変だという。

しかし、いいかな。物質的、非物質的なすべての生命の視点で見れば、見かけの不変性は消える。真実を経験する。つまり、常に変化しているということだ。

質問者:すると、ときには変化が非常に微妙でわずかなために、あまり敏感でないわたしたちには同じように見える、ときには全く同じに見えるけれど、実はそうではないとおっしゃるのですか?

そのとおり。

質問者:では、「瓜二つの双子などいない」ってことですね。

そうだ。よく、わかっているではないか。

質問者:でも、わたしたちは不変に見えるほどそっくりなかたちで、自分自身を再創造する(re-create)ことができるんですね。

そう。

質問者:人間関係も同じ。わたちたちは何者で、どうふるまうか、ということでも同じなんですね。

そう。ただし、たいていのひとは非常に難しいと思うだろう。

というのも、前に言ったとおり(見かけのではなく)真の不変性は自然の法則に反するからだ。

見かけの同一性を創り出すのでさえ、偉大な<マスター>でなければできない。

<マスター>は自然の傾向性をすべて克服し(自然は変化する傾向があるんだよ、覚えているかな)、同一性を示す。だが、実は毎瞬毎瞬、同一なわけではない。ところが<マスター>は同一に見えるほど似た自分を創造して見せることができるのだ。

質問者:でも、<マスター>でないひとたちだって、いつも「同じ」に見えますよ。行動も見てくれもあんまり予測可能なんで、命を懸けても大丈夫だってひとたちを知っています。

しかし、それを意図的にするとなると、途方もない努力が必要だよ。

<マスター>は、非常に高いレベルの類似性(あなたがたが言う「不変性」)を意図的に創り出すことができる。ところが弟子とは、必ずしも意図せずに不変性を創り出すひとたちだ。そういうひとは、ある状況ではいつも同じ反応をする。

例えば、必ず「自分にはどうしようもない」と口にする。だが、<マスター>は決してそんなことは言わない。

同じ反応をするひとは、結果として望まないふるまい(ひとからほめられるような行動)になっても、「別に、たいしたことじゃない。実は、考えずに動いただけだ。誰でもそうするよ」と言うだろう。

だが、<マスター>は決してそんなことはしない。

つまり、<マスター>とは自分が何をしているかを文字通り、知っているひとだ。<マスター>は、自分がなぜそうするのか知っている。ところが、<マスター>のレベルに達していないひとは、それも知らない。



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【2008/05/22 21:00】 | 聖者<マスター>
約束のなかの偽り
質問者:ふう!なかなか厳しいお言葉ですね。決して約束をするなとおっしゃる。誰にも何の約束もしてはいけないんですか?

いまのほとんどの人生では、すべての約束に偽りが組み込まれている。将来、自分がどんなふうに感じるか、どうしたいと思うか、それがいまわかると考えるのが偽りなのだよ。

物事に反応して生きていたら、そんなことがわかるはずはない。創造者として生きてはじめて、偽りのない約束ができる。

創造者は、将来、どう感じるか知っている。創造者なら感情を経験するのではなくて、創り出すからだ。未来を創造出来るようになるまでは、未来は予測できない。未来を予測できるまでは、本当の約束をすることはできない。

しかし、未来を創造し、予測する者でも、変化する権利と権限はある。変化はすべての被造物の基本的権利だ。実際には「権利」以上のものだ。「権利」とは与えられるものだから。ただ「変化」する、それだけだ。

変化するもの、それがあなただ。変化は与えられるものではない。あなたが変化するのだ。

さて、あなたがたは「変化」するから―変わらないのは「変化する」ということだけだから―常に同じであるという約束は決してできない。


質問者:宇宙には変わらないものはないとおっしゃるんですか?創造のなkでは、常に変わらずにいるものは何もない、そうおっしゃるんですか?



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【2008/05/21 21:00】 |
愛は独特なものへの、独特な対応
いいかね、関係性のなかで、もっと高次の特別さを経験したいと思うときが来るかもしれない。自分にとって誰かが特別だというのではなく、すべてのひとへの(それに生命そのものへの)愛の深さを示す方法は相手によって違う、それぞれ独特なものだということだ。

実は、いままでもひとへの愛を示す方法は、それぞれ独特なのだ。全く同じ方法で2人に愛を示すことはできない。ひとはそれぞれ独特の被造物であり、創造者で、創造するものはすべて独特だからだ。思考でも言葉でも行為でも、同じものはない。ひとも同じにはなれない。独特な存在でしかありえない。

なぜ、同じ雪の結晶が2つないのか?それは、不可能だからだ。「創造」は「コピー」ではないし、創造者は創造することしかできないからだ。

だから、2つとして同じ雪の結晶はないし、同じ人間はいないし、同じ考えはないし、同じ関係もないし、同じものが2つ存在することは絶対にない。

宇宙は―そしてそのなかのすべては―単数でしか存在しないし、同じものは他にはないのだ。

質問者:それも、聖なる二分法ですね。すべては独特であり、すべてはひとつである。

そのとおり、手の指はみんな違っているが、しかし同じ手だ。

人間も同じだよ。すべての人間はひとつだが、2人として同じ人間はいない。したがって、どんなに努力してみても、2人の人間の愛が同じであるはずがない。それに、そんなことを望むはずもないのだ。

なぜなら、愛とは独特なものへの独特な対応なのだから。

そこで、ひとりへの愛を示すときは、他のひととの関係ではありえない方法で示しているはずだ。あなたの思考、言葉、行為―あなたの対応―は、コピーにはなれない。たったひとつのものだ。あなたが想う相手もそうだ。

この特別な愛をひとりだけに示したいと思う日が来たら、そのときは、さっき言ったようにそれを選びなさい。それを表明し、宣言しなさい。だが、その宣言は義務ではなく、その瞬間の自由の表明にすること。

なぜなら、真の愛は常に自由で、愛の場に義務は存在し得ないからだ。

ひとりだけを独特なかたちで愛するという決断を、決して破ってはならない神聖な約束と考えるなら、その約束が義務になる日が必ずやってくるし、あなたはそれを恨むだろう。

だが、その決断をたった一度の約束ではなく、何度でもやり直す自由な選択だと考えれば、それを恨む日は来ないだろう。

このことを覚えておきなさい。神聖な約束はただひとつしかない。それは、本当の自分を語り、生きることだ。他の約束は自由の喪失で、決して神聖なものではない。

本当のあなたは自由だから。自由を失えば、自分自身を失う。それは神聖どころか、冒涜だ。


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【2008/05/20 21:00】 |
愛と結婚
最初に浮かぶ言葉は、無制限ということだな。愛とは無制限だ。

質問者:それじゃ、振り出しに戻ってしまいますよ。同じ輪の上の堂々巡りです。

輪というのはいいものだよ。悪くいうものではない。めぐり続けなさい。問題の周りをめぐり続けなさい。めぐるのはいいことだ。繰り返しもいい。再訪も、言葉の繰り返しも結構。

質問者:ときどき、イライラしてくるんだがなあ。

ときどき?それはおかしなことを聞くね。

質問者:わかりました、わかりましたよ。先を続けてください。

愛とは、無制限なものだ。はじまりもなければ終わりもない。以前も以後もない。だから、愛は常にある。常に現実だ。

さて、さっき使った言葉に戻ろうか。自由だ。愛が無制限で、そして常にあるなら、愛は・・・自由だ。愛は完璧な自由なのだよ。

ひとは常に愛し、愛されたいと願っている。そうだろう。常に、愛が無制限であってほしいと願っている。そして、それを自由に表現したいと願っている。

あなたがたは愛の経験のすべてで、自由と無制限と永遠を求める。いつも実現するとは限らないが、求めてはいる。愛とはそういうもので、ひとは心の奥底ではそれを知っているから求める。

なぜ知っているか。あなたは愛であり、愛の表現を通して、本当の自分を知り、経験するからだよ。

あなたがたは、生を表現する生であり、愛を表現する愛であり、神を表現する神だ。


だから、これはみんな同義語だよ。同じものだと考えればいい。

神―生命―愛―無制限―永遠―自由

このどれにもあたらないものは、他のどれでもない。

これがあなたがただ。「遅かれ早かれ」、そういうものとして自分を経験したと願うようになる。

質問者:「遅かれ早かれ」とは、どういうことですか?

いつ、不安を克服するかによる、ということだよ。さっきも言ったとおり、不安は本当のように見えるが、偽りの証だ。本当のあなたではない。

あなたがたは自分でないものの経験を終わったとき、本当の自分を経験しようとする。


質問者:不安を経験したいなんて、誰が思うんでしょう?

誰も思いはしない。教えられたのだ。

子どもは不安を経験しない。坊やは何でもできると思っている。また、自由の欠如も経験しない。幼い女の子は誰でも愛せると思っている。子どもたちは、自分が永遠に生きていると思っている。子どものようにふるまうひとは、自分を傷つけるものは何もないと思っているよ。

また、子どもたちは、神々しくないものは何も知らない。ただし、大人に神々しくないものを教えられるまでは、だから、子どもたちは裸で走り回り、誰にでも抱きつき、それを大変なことだと思わない。大人に同じことができたら、どうだろうね。

質問者:でも、子どもたちは美しい無邪気さからそうするんです。大人は、そんな無邪気さを取り戻すことはできません。大人が「裸」になったら、常にセックスみたいなことがつきまといますから。

そうだね。そして、もちろん、神は「セックスみたいなこと」が無邪気に自由に表現されるのを禁じているわけだ。

質問者:そう、神は禁じたんです。アダムとイヴは裸でエデンの園を走り回って幸せだった。ただし、イヴが木の実を、善悪を知る智恵の木の実を食べるまではね。そのとき、あなたは、わたしたちにいまの状態を宣告なさった。わたしたちすべてが現在を負ったのです。

そんなことはしないよ。

質問者:わかってます。でも、ここで既存の組織的宗教に一矢報いておかなくちゃ。

できるなら、そんなことはしないほうがいいな。

質問者:わかりました。そうですね。組織的宗教にはほとんどユーモアのセンスがないからなあ。

そらそら。

質問者:すいません。

わたしが言ったのは・・・人間という種は、無制限で永遠で自由な愛を経験したいと切望するということだ。結婚という制度は、永遠を創造しようとする試みだった。結婚によって、生涯のパートナーに
なることを約束し合おうとした。だが、「無制限」で「自由」な愛の創出にはあまり役立たなかったね。


質問者:どうしてでしょう?結婚が自由に選ばれたものなら、自由の表現なのではありませんか?配偶者以外にはセクシュアルな愛を示したりしないというのは、制約ではなくて選択でしょう。選択は制約じゃなくて、自由の行使ですよね。

それが選択であるあいだは、そうだね。

質問者:でも、そのはずでしょ。約束なんだから。

そう・・・そこがトラブルのもとだ。

質問者:説明してください。


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【2008/05/19 21:00】 | 恋愛/人間関係
男女関係の制約 その2
わたしは弁護もしないし、非難もしない。何についても、「賛成」したり「反対」したりはしない。わたしはただ、事実を観察している。あなたがたが善悪のシステムをつくり出し、賛成したり反対したりするのを眺めているだけだ。

人類として、個人として、自分はこれこれのことを選び、いまの考え方がその目的に役立つかどうかを見ているだけだ。

さて、わたしは「開かれた結婚」に賛成でも反対でもない。あなたが賛成するか反対するかは、結婚に、あるいは結婚から、何を望んでいるかによって決まるだろう。

何を望むか、それが「結婚」という経験の場で、本当のあなたを創り出す。行為とはすべて自分を決めることだから。

どんな決定をするにしても、正しい疑問と取り組んでいるかどうか確かめることが大事だ。

例えば、「開かれた結婚」についての疑問は、「配偶者双方に別の人間としての性的接触を認める開かれた結婚をするか」ということではない。そうではなくて、「結婚という経験に照らして、わたしとは何者か、わたしたちとは何者か」ということだ。

この疑問に対する答えは、人生最大の問いに対する答えのなかにある。すべてのこと、すべての経験で、自分とは何者か。それだけだ。わたしは何者か、どんな人間になることを選択するか?

この対話で繰り返し言ってきたように、それがすべての問いへの答えだ。

質問者:やれやれ(God)、ますますイライラしてきたな。だって、その答えはあんまり漠然としていて一般的で、全然、他の問いへの答えになりません。

ほう、そうかな?それでは、その答えとは何なのだね?

質問者:あなたがこの対話でおっしゃっていると思われることを基準にすれば、わたしは「愛」です。それが、本当のわたしです。

すばらしい!わかったじゃないか!そのとおりだよ。あなたは愛だ。存在するのは愛、それだけだ。だからあなたは愛であり、わたしは愛であり、愛でないものは何もない。

質問者:それじゃ、不安はどうなんですか?

不安は、本当のあなたではない。不安は本当のように見えるが、偽りの証だ。不安は愛の対極で、本当の自分を経験的に知るために現実の中で創り出したものだ。

あなたがたの相対的な世界での真実とは、こういうことだ。自分でないものが存在しなければ、あなたも―存在しない。


質問者:そう、そうですね。何度も伺いました。だが、わたしはどうもはぐらかされているような気がするんですよ。自分とは何者か、という問いへの答え(それは愛である)は、あんまり漠然としていて一般的で、他の問いへの答えにならない。わたしは、そう言ったんです。あなたはそれがすべての問いのへの答えだとおっしゃるが、「開かれた結婚をするべきか?」という具体的な問いへの答えはもちろん、どんな問いへの答えにもなっていないとわたしは思うんですよ。

本当にそう思うなら、あなたには愛がわかっていないのだよ。

質問者:みんな、そうなんじゃありませんか?人間は、時のはじまりから、そのことをわかろうとしてきたんです。

そんなものはない。

質問者:ああ、時のはじまりなんてものはないんですね。いいですよ、わかってます。ただの言葉のあやですよ。

では、あなたの言う「言葉のあや」を使って、愛とは何かを説明できるかどうか、やってみよう。

質問者:ぜひお願いします。


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【2008/05/18 21:00】 | 恋愛/人間関係
男女関係の制約 その1
質問者:小さいときから、誰でも思い通りに愛したいのに愛させてもらえないことに、すごくいらだっていたんです。

質問者:小さいときは、知らないひとと話しちゃいけない、場違いなことを言ってはいけないと言われました。いまでも覚えていますが、あるとき、父と通りを歩いていたら、小銭を恵んでくれという貧しいひとに出会ったんです。すぐに気の毒に思って、ポケットに手を入れて小銭をあげちょうとしました。

質問者:そうしたら父が止めて、にべもなく言いました。「ゴミだ、あんなのはただのゴミだ」って。父には父の価値基準があって、それに達していないと思う人間はみんなゴミだとレッテルを貼ったんです。

質問者:その後、兄の事件がありました。兄はもう家を出て独立していたんですが、父と口論したためにクリスマス・イヴに家を入れてもらえなかった。わたしは兄が好きだったし、イヴには家族一緒に過ごしたかったのに、家に入れてもらえなかった。わたしは兄が好きだったし、イヴには家族一緒に過ごしたかったのに、父は玄関で立ちはだかり、兄を入れませんでした。母は感嘆にくれていましたよ(兄は、前の夫との間に生まれた子どもだったんです。)

質問者:わたしは不思議でならなかった。たかが口論で、クリスマス・イヴに兄を愛することも、一緒にいることも拒絶するなんてことがあるんだろうか?どんな酷いいさかいがあったとしても、クリスマスを台無しにするほどのことだろうか。交戦国でさえ、24時間の休戦をするというのに。7歳のわたしは不思議でたまらなかったんですよ。

質問者:大人になってから、怒りだけではなく、不安も愛の流れを妨げるものを知りました。だから大人も、知らないひとと話してはいけない子どもと同じです。見知らぬひとに心を開いて親しく付き合っちゃいけないし、はじめて紹介された相手には、守るべきエチケットがある。どれも、わたしには納得がいきませんが。わしは出会ったひとのすべてが知りたいし、自分のすべてを知ってもらいたい!でも、ノー、それはいけない。待て、時間をかけろ。それがルールなんです。

質問者:大人になってセクシュアリティの問題が登場してくると、ルールはさらに厳しく、制約的になりました。わたしには、それも納得がいかないんです。

質問者:わたしはただ愛し、愛されたい。自然だと感じる方法ですべてのひとを愛したい、気持ちのいい方法で愛したい。ところが、社会にはいろいろ厳しいルールと規制があります。規制が厳しいから、たとえ相手が同意しても、社会が同意しなければ、恋人たちは「間違っている」と言われるし、結局そうなるように運命づけられている。いったい、これは何なんですか?

それは、あなた自身が言っているんじゃないか。不安だよ。すべては、不安に根ざしている。

質問者:そうですね。だが、その不安は正直ですよね?わたしたち人間のふるまいを考えれば、そういう制約や束縛は適切なのではありませんか?例えば、男性が若い女性と出会い、恋に落ちる(あるいは「肉欲」を感じる)。そして、妻を捨てる。39歳の妻は子どもを抱え、身につけた技術もないから就職もできない。あるいは、もっと酷いことに、年老いた64歳の妻が、自分の娘よりも若い女性に血道をあげた68歳の男に捨てられる。

あなたが例にあげた男は、64歳の妻をもう愛していないと思うか?

質問者:行動を見れば、そういうことになりますね。

いや、そうじゃないよ。彼は妻を愛していないから、逃げ出したくなったのじゃない。自分に押つけられたと感じる制約から逃げようとしているんだよ。

質問者:そんなばかな。だって、単純な肉欲にすぎないじゃないですか。じいさんが若い女と暮らして、若さを取り戻したがっているだけです。子どもっぽい欲望を抑えられず、辛い厳しい人生を共に歩んできたパートナーへの約束を守れなくなっただけじゃないですか。

もちろん、あなたの言うとおりだよ。そうだからって、わたしがさっき言ったことは何の関係もないがね。どんな場合でも、そういう男は妻を愛さなくなったんじゃない。妻が彼に押つける制約、あるいは妻と別れないのなら付き合わないという若い女性が課す制約、それが男の反抗を生むのだ。

わたしが言おうとしているのは、魂は常に制約に反抗するということだ。あらゆる種類の制約に抵抗する。人類史上のあらゆる革命の火花はそれだよ。妻に対する男性の反乱だけじゃない。突然、夫を捨てる妻の抵抗だけじゃない。(これも、よくあることだ)。

質問者:まさか、人間のふるまいからあらゆる制約を取り払ってしまえ、とおっしゃるんじゃないですよね!それじゃ、道徳的無政府主義になってしまいます。社会は大混乱になる。あなたは「情事」をするひとたちを弁護なさるわけじゃないですよね。いわゆる「開かれた結婚」という、あれですが!


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【2008/05/17 21:00】 | 恋愛/人間関係
愛の自然な表現
それは真の愛を表現しているのではない。それとは逆のものだ。

質問者:人間の経験という枠組みのなかで、真の愛はどこまで表現が許されるのでしょうか?その表現にはどんな制約をもうけるべきなんですか(もうけなければいけない、言うひとがいますね)?付き合いやセックスのエネルギーの制約なしに放出されたら、どんなことになりますか?付き合いやセックスの完全な自由は、すべての責任の放棄になるのでしょうか。それとも絶対的な高みに引き上げることになるんでしょうか?

愛の自然な表現を妨げようとするのは、自由の否定だよ。したがって、魂そのものの否定だ。魂は人格化した自由だから。神はその定義からして自由だ。神に制限はなく、いかなる種類の制約もない。

魂はミニチュア化した神だよ。したがって、魂は押し付けられるあらゆる制約に抵抗するし、外部からの束縛を受け入れる度に新たな死を経験する。

その意味では、誕生そのものが死であり、死は誕生だ。誕生するとき、魂は身体という恐ろしい制約のなかに押し込まれているのに気づく。死はこの制約からの解放だ。眠りでも同じ解放が起きる。

魂は自由のもとへ飛び帰り、再び本来の表現や体験を楽しむ。では、身体とともにあっても、その本来の表現や体験はできるのだろうか?

あなたが聞いたのはそれだよ。それを考えると、生命そのものの存在理由と目的に行き着く。生命にとって身体が監獄あるいは制約に過ぎないのなら、身体とともにあって何のいいことがあるか?身体の機能とは何なのか、それどころか、身体とともにいるのは正当なことなのか?

質問者:そうですね。だから、聞きたいんだと思います。それに、あらゆるところで、人間として体験に辛い制約を感じているひとたちみんなを代表して、お尋ねしたい。制約といっても、物理的な制約だけじゃなく・・・。

わかっているよ。

質問者:・・・感情的、心理的な制約でもあるんです。

そう、わかっている。わかっているよ。だが、あなたの言うことはすべて、もっと大きな質問に関連がある。

質問者:そうですね。だが、終わりまで言わせてください。




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【2008/05/16 21:00】 |
複数のジャンヌダルク
質問者:ただ、こういう場合はどうなんでしょうか?ああ、このひとと「過去の生」を一緒に過ごしたな、と直観したのに、相手にそう言ってみたら、向こうはそんなことを全然感じていなかったとしたら?それはどういうことなんですか?

それは「過去」と「未来」を混同しているんだよ。

質問者:え?

あなたは別の生を一緒に過ごしている。ただし、過去ではない。「未来の生」だ。いまという永遠のなかでは、始終起こっていることだ。あなたは、ある意味では、まだ起こっていないことに気づいたのだ。

質問者:それじゃ、なぜ相手も未来を「覚えて」いないんですか?

それは非常に微妙な振動だからだ。あなたがたのなかには、特に敏感な者もいる。それにひとによっても違うのだよ。

特に誰かとの「過去」や「未来」の体験に「敏感」なのかもしれない。そういう場合は普通、お互いが同じ身体を包む大きな魂の一部だということだ。

「前に会った」と感じても、その感じがさほど強くない場合は、「時」は同じだったが、同じ身体ではなかったのかもしれない。

例えば、夫と妻であった(未来にそうなる)とか、兄弟姉妹、親子、恋人などかもしれない。これは強い絆だから、「現世」で「初めて再会」したときに感じても当然なのだよ。

質問者:おっしゃるのが本当だとしたら、これまでの説明がつかなかったことも、説明がつきそうです。
「現世」で複数の人が、自分はジャンヌ・ダルクだった記憶があると言ったりしますよね。モーツァルトの場合もあるし、他の「過去」の有名人のこともありますが。あれは、輪廻転生という考え方が間違っている証拠だと思っていたんですよ。だって、複数のひとが、過去に同じ人物だったなんてことがありますか?でも、お話を聞いてみると、それも可能なんだ!つまり、いまひとつの魂に包まれている複数の知的存在が、それぞれジャンヌ・ダルクだった(いまもそうなんでしょうが)部分を「記憶している(remember)」(もう一度、そのメンバーになる)ってことなんですね。これからは、「こんなことは不可能だ」ということがあったら、それは、自分が知らないことがどんなに多いかという証拠に過ぎないな。

それを覚えているのはいいことだ。とても、いいことだよ。

質問者:複数の「魂のパートナー」をもつことが可能だとすれば、一生に何度も「魂のパートナーだという直観」を強く抱くというのも説明がつきますね。一度に複数のひとに感じることだってあるんだ!

そのとおりだね。

質問者:そうしたら、一時に複数のひとを愛することも可能ですね。

もちろん。

質問者:いやいや、わたしが言うのは、普通はひとりのためにとっておく親密で個人的な愛のことなんです。少なくとも、一度にひとりだけに感じる愛ですよ!

どうして、愛を「とっておく」のかな?どうして、「しまって」おきたがる?

質問者:だって、「そんなふうに」複数のひとを愛するなんて、正しくないですよ。裏切りじゃないですか。

誰がそんなことを言った?

質問者:誰でも言いますよ。みんな言ってます。両親も言いました。宗教もそう教えている。世間だってそう言います。誰でもみんな、そう言います!

それは「父の罪」が息子に伝えられるという類だな。

あなた自身が経験から学んだことがあるはずだ。すべてのひとを心から愛すること、それは最高に楽しいことだ、とね。

ところが、あなたの両親、教師、聖職者たちは別のことを言う。「そんなふうに」愛するのは一時にひとりしかいない、と。それはセックスのことに限らないよ。

そんな意味にせよ、あるひとを他に比べて特別だと感じたとき、あなたがたは、他のひとたちを裏切ったように感じる。

質問者:そうなんです!そのとおりなんですよ!わたしたちはそういうふうにできているんです!

それは真の愛を表現しているのではない。それとは逆のものだよ。



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【2008/05/15 21:00】 |
魂のパートナー
質問者:もうひとつ、魂について質問があるんです。「魂のパートナー」というものは、あるんでしょうか。

あるよ。だが、あなたが考えているのとは違うな。

あなたは、「魂のパートナー」を「自分の半身」だとロマンティックに考えている。だが、人間の魂(つまり、「個別化」されたわたしの一部)は、あなたが考えるよりももっと大きい。

質問者:言い換えれば、魂と呼んでいるものは、考えているよりも大きいてことですね。

はるかに大きい。ひとつの部屋の空気というようなものではない。一軒の家全体の空気だ。その家にはたくさんの部屋がある。「魂」はひとつのアイデンティティに制限されない。ダイニングルームというひとつの部屋の「空気」ではない。

また、魂のパートナーと呼ばれるような、個別化された2つの魂に「分裂」もしない。リビングルームとダイニングルームの「空気をあわせたもの」ではなく、一軒の邸宅全体を覆う「空気」だ。

さらに、わたしの王国にはたくさんの邸宅がある。すべての邸宅の内外を同じ空気が流れているが、ある邸宅のそれぞれの部屋の空気の方が「身近に」かんじられるかもしれない。

部屋に入って、「ここは「身近な」感じだぞ」と思うかもしれない。わかるだろう。たった「ひとつの魂」しかないのだよ。

だが、あなたの言う「個別化」された魂もまた大きく、たくさんの物質的なかたちを包んだり、出入りしたりしている。

質問者:同時に?

時というものはない。だから、「イエスでありノー」としか答えられないね。あなたの魂が包んでいる物質的なかたちのなかには、あなたが思うような「いま、生きて」いるものがある。「すでに死んだ」ものもある。また、「未来」に生きるはずのものもある。

もちろん、すべてはたったいま起こっているのだが、時間という道具のお陰で、あなたがたはそれぞれの経験を、よりはっきりと感じることができる。

質問者:すると、わたしの魂が「包んで」いる何百もの物質的な身体(「包む」というのは、面白い言葉ですね)、それがみんな、「魂のパートナー」なんですか?

そう、いままでの考えよりは、その方が正解だね。

質問者:で、わたしの魂のパートナーは以前に生きていたかもしれない?

そうだよ。あなたの言い方ではそうなるね。

質問者:そうなんだ。いや、待ってくださいよ!わかりかけたぞ!わたしの一部で「以前」に生きていた者、それが「前世」なんでしょう?

いいところに気づいたね!わかってきたじゃないか!そう、「以前」に「別の人生」を生きた者もある。また、未来の生もある。現在、地球上に住んでいる別のかたちの生も包んでいる。

そういう者に出会ったら、すぐに親近感を抱く。「きっと「前世」で一緒だったに違いない」などと言ったりする。そのとおりかもしれない。「過去の生」をともに過ごしたのかもしれない。同じ物質的なかたちで、あるいは同じ時空のなかの2つのかたちとして。


質問者:なんてことだろう、すごいな!すべての説明がつきますね!

そう、説明がつくね。



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【2008/05/14 21:00】 | 人生
老いた魂、若い魂
質問者:さて、もう一度、魂の問題に戻りますが・・・。

なるほど、それはいい本の題名になるな・・・「魂の問題」。

質問者:いつか、そういう本をつくりましょうか。

冗談だろう?もうつくったよ。

質問者:ただし、そうでない場合は別として。

誰にもわかりはしないさ。

質問者:わかる場合は別として。

そーら、わかるだろう?あなたはわかってきた。本当のことを思い出した。そして、面白がっている!あなたは、「明るく(lighty)生きる」ことへ戻っている。明るくなっている。それが、悟り(enlightenment)というものだよ。

質問者:クールだな。

とてもクールだ。つまり、あなたはホットだということだ!

質問者:いやあ。それは、「矛盾のうちに生きる」ってことですね。あなたはそれについて何度も話された。ところで、魂の問題に戻りますが、老いた魂と若い魂の違いは何ですか?

エネルギー(つまり、わたしの一部)は、究極の認識に到達したあとに何を選ぶかで、「若い」自分も、「老いた」自分も生み出すことができる。

宇宙の車輪に戻ったとき、ある魂は老いた魂になることを、あるものは「若い」魂になることを選ぶ。実際「若い」という経験がなければ、「老いた」という経験もありえない。

これとまったく同じ理由で、ある魂は「善」を、あるものは「悪」を選ぶ。だから、どの魂も決して罰せられることはない。


どうして、「ひとつの魂」が自分という全体の一部を罰しようと思う?こういうことはすべて、「小さな魂と太陽」という童話に、子どもにもわかるように、単純に、美しく描いただろう。

質問者:あなたは、とんでもなく複雑な概念を、実に明快に雄弁に説明してくださる。子どもでも理解できますね。

ありがとう。


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【2008/05/13 21:00】 |
動かない動かし手
質問者:そこで、また人間の魂の話に戻りたいんですが。魂はいくつあるんですか?

ひとつ

質問者:ええ、大きな意味ではそうですね。でも、ひとつの存在するすべては、いくつに「個別化」されてるんですか?

ほう、その言葉は気に入ったな。あなたの言葉の使い方はなかなかいい。存在するすべてであるひとつのエネルギーは、たくさんの違った部分に「個別化」する。

質問者:お褒めに預かって、どうも。神さま、あなたは個別化された魂をいくつ、お創りになったんですか?

あなたが理解できるようなかたちでは、答えられないな。

質問者:でも、やってみていただけませんか。決まった数ですか?数は変化しているんですか?無限ですか?「最初の分」を創ったあと、「新しい魂」を創っておられますか?

そう、決まった数だ。そう、変化する数だ。そう、無限だ。そう、新しい魂を創った。

そして、ノー、創っていない。

質問者:わかりません。助けてください。

本気で言っているのかな?「助けてください、神よ」と?

質問者:ええ、どんなことになってもわかりたいんです。だから、助けてください、神よ。

よろしい。かたく決意しているようだから、助けてあげることにしよう。ただし、警告しておくが、有限の視点から無限を把握し、理解することは難しいよ。しかし、ひとつやってみようか?

質問者:クールですねえ!

そう、クールだ。まず、あなたの質問は時間の存在を前提としている。しかし、本当はない。あるのはたったひとつ、いまという永遠だけだ。

「以前」に起こったことは何もない。なぜなら、「以前」は存在しないから。「以後」に起こることは何もない。なぜなら、「以後」は存在しないから。常に、たったいまがあるだけだ。

そのたったいまも、わたしは常に変化している。したがってわたしが「個別化」する方法の数は常に異なり、常に同じだ。

たったいましかないのだから、魂の数は一定だ。

だが、あなたがたのように、いまをその時々と考えれば、数は常に変化している。わたしは常に変化しているから、魂の数は無限だ。だが、ある「一定の時」をとれば、有限に見える。


究極の認識に到達し、究極の現実と一体になったあと、進んですべてを「忘れ」、「やり直し」をしようとするという意味では、「新しい魂」がある。

彼らは宇宙の車輪の新しい場所に移動しようと決める。そのなかのあるものは、再び「若い魂」になることを選ぶ。

だが、すべての魂は「最初に創られた分」の一部だ。すべてはたったいま、創造されている(創造された、そして創造されるだろう)から。だから、あなたがどう見るかによって、数は有限で無限、変数で定数だ。

この究極の現実の性格の故に、わたしは、動かない動かし手と呼ばれる。


質問者:オーケー、わかりました。あなたにあっては、絶対というのはないんですね。

ただし、すべてが絶対であることを除けば。

質問者:ただし、そうでない場合は別として。

ただし、そうでない場合は別として。物事を真剣に考えたいという時や場合がある。

質問者:わたしがそうじゃないと思わない限り。

あなたがそうじゃないと思わない限り。



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【2008/05/12 21:00】 |
わたしは偉大な師である
こう言うのだ。「わたしは偉大な師である。」そら、言ってごらん。

質問者:うーん・・・。わたしは・・・しかしですねえ、問題は、これがすべて公になることです。ここで書いていることはすべて、印刷されるんですよ。ペオーリアのひとも、これを読むことになる。

ペオーリアか!ふん!北京はどうだね!

質問者:いいですよ、中国でも印刷されるでしょう。そこが重要なんです。全世界が見つめ、待ち構えているなかで、対話をするのはどんなことか、みんなにわかってもらおうとしました。1冊目や2冊目のときとは違うんです。あれは無心に行われた対話だ。本になるなんて、知らなかったんです。

いや、あなたは知っていたよ。心の奥底では知っていた。

質問者:そう、そうなればいいな、とは思ってましたよ。だが、いまはわかっている。そうなると、この便箋に書くのも違ってくるんです。あなたは、わたしは偉大な師だと言えとおっしゃる。そんなこと、人前で言うのは難しいですよ。

それでは、こっそりと自分を宣言しろと言えというのかな?それで、自分に力を与えることができると思うのかね?自分自身を宣言しなさいと言ったのは、まさにここが公の場だからだ。公の場で言うことが大事なんだよ。公然たる宣言は、最も高いかたちのヴィジョンだ。

本当の自分について抱く最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンを生きなさい。それを生きるには、まず宣言することから始めなさい。公然と。それを実現する第一歩は、そう述べることだ。

質問者:それでは、謙遜はどこへ行ってしまうんですか?礼儀はどうなってしまうんですか?それじゃ、合うひとごとに自分自身についてのもっとも偉大な考えを宣言してまわることになりませんか?

偉大な<マスター>はみんなそうしてきた。

質問者:ええ、でも、傲慢ではないでしょう。

「わたしは生命であり、道である」というのが「傲慢」かね?あなたが言ったら傲慢なのか?あなたは二度と私を否定しないと言ったが、10分前から否定しているではないか。

質問者:あなたを否定しているんじゃありません。わたし自身の最も偉大なヴィジョンについて話しているんですよ。

あなたの最も偉大なヴィジョンとはわたしだ!自分の最も偉大な部分を否定すれば、わたしを否定することになる。いいかね、明日、世が明ける前に、あなたは3度わたしを否定するだろう。

質問者:ただし、そうでない場合は別として。

ただし、そうでない場合は別として。そのとおり。それを決めるのは、あなただ。あなただけが、選択できる。ところで、あなたは私的に偉大な<マスター>であったひとをひとりでも知っているか?ブッダ、イエス、クリシュナ、みんな公然と師であった、そうだろう?

質問者:ええ。でも、あんまり知られていなくても偉大な師はいますよ。わたしの母がそうでした。前に、偉大な師であるためには、必ずしも広く知られる必要はないっておっしゃったじゃありませんか。

あなたのお母さんは、先触れだった。メッセンジャーだ。道を用意する者だよ。彼女はあなたに道を示し、道を用意した。だが、あなたもまた師だ。

あなたの知っているお母さんは良い師だったにしても、自分自身を否定してはいけないとは教えなかったようだな。だが、あなたは、ひとにそれを教えるのだよ。

質問者:ああ、そりゃそうなりたいですよ!もちろん、そうしたいです!

「したい」と思うのはやめなさい。「欲しい」と思うことは、「したい、欲しい」という状態を宣言するだけのことだ。あなたはそこにとどまってしまう。欲しがっている自分のままで。

質問者:わかりました!いいですよ!わたしは「したい」とは思わない、それを選びます!

その方がいい。その方が、ずっといいな。さて、あなたは何を選ぶ?

質問者:ひとに、自分自身を否定するなと教えることを選びます。

結構、他に何を教える?

質問者:ひとに、決してあなたを、神を否定するなと教えることを選びます。あなたを否定することは自分自身を否定することであり、自分自身を否定することはあなたを否定することですから。

よろしい。そしてあなたは、行き当たりばったりに、ほとんど「偶然」に任せて教えることを選ぶのか?それとも、目的をもって、立派に教えるか?

質問者:目的をもって教えることを選びます。母がしたように立派に。母は「決して自分を否定してはいけない」と教えてくれました。母ほど、ひとを勇気づけたひとを、他に知りません。母は「自分を信頼し、神を信頼しなさい」と教えてくれました。言葉だけではなく、母の生涯そのものが教えだった。それが偉大な師というものです。わたしもそういう師になることを選びます。

そのとおり。あなたのお母さんは偉大な師だった。また、より大きな真実のなかでは、あなたの言うとおりだ。偉大な師だからって、広く知られる必要はない。

わたしはあなたを「試した」のだよ。あなたがどこへ向うのか知りたかったのだ。

質問者:わたしは「行くべき」ところへ「向って」いますか?

あなたは偉大な師が向う場所へ向っている。あなた自身の智恵へね。あなた自身の真実へ。いつもそこへ向うべきだ。そここそ、世界に教えながら、戻ってきて、また出発すべき場所だから。

質問者:わかります。ええ、わかりますよ。

そして、真実のあなた自身についての最も深い真実とは何かな?

質問者:わたしは・・・。・・・偉大な師です。永遠の真実を教える偉大な師です。

そら、やったじゃないか。静かに、穏やかに言ったではないか。そう、それでいい。あなたは、心では真実を知っている。その心を語っただけだよ。

あなたは偉ぶっているのではないし、聞くものは誰も偉ぶっているとは思わないだろう。自慢しているのではないし、聞くものは誰も自慢しているとは思わないだろう。あなたは胸をたたいて力を誇示しているのではなく、心を開いている。それは大きな違いだよ。

誰でも、心では本当の自分を知っている。偉大なバレリーナ、偉大な法律家、偉大な指導者、偉大な癒し手(ヒーラー)だ。そして、そのそれぞれが、偉大な人間なのだよ。

誰もが、心を開けば、ひとと心の中の欲求を分かち合えば、心からの真実を生きれば、世界は荘厳さに満たされる。あなたは偉大な師だ。その贈り物はどこから来たと思う?

質問者:あなたです。

そして、本当の自分を宣言したあなたは、本当のわたしを宣言しただけだ。常にわたしを源として宣言しなさい。あなた自身を源として宣言しなさい。

あなたは、わたしのすべての源だ。あなたがいちばんよく知っている偉大な師は、「わたしは生命であり、道である」と言った

さらに、「すべてのものは、父から来る。父がなければ、わたしは何者でもない」とも言った。さらに、「わたしと父はひとつである」とも言った。わかったかな?

質問者:わたしたちはひとつしかない。

そのとおり。


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【2008/05/11 21:00】 | 聖者<マスター>
あなたがたの人生は決して闘いではないし、いまもこれからも、そんな必要はない
あなたがたの人生について、もうひとつ、一般的なことを言っておきたいな。さっき、たったひとりで闘っているとしか思えないときがある、と言ったね。

質問者:ええ。

何と闘っている?

質問者:あれは、言葉のあやですよ。

いや、そうではないだろう。あれは、あなたが(他の多くのひとたちも)人生をどう考えているかを正直に示していると思うよ。あなたがは、人生は「闘い」だと考えている。ここで何かの闘いが行われていると思っている。だが、本来はそうではないし、そんな必要は全くないのだ。

質問者:失礼ですが、それはちょっと信じられません。

信じないから、現実がそうならないのだよ。あなたが信念を現実にするのだから。

いいかね、あなたがたの人生は決して闘いではないし、いまもこれからも、そんな必要はない。

わたしは、最も偉大な真実を創り出す道具(ツール)を与えた。だが、あなたがたはそれを活用しようとしない。もっと正確に言えば、間違った使い方をしている。その道具というのは、創造のための3つの道具だ。これについては、以前に詳しく話したね。覚えているかな。


質問者:思考、言葉、行為ですね。

そのとおり、よく覚えていた。いつか、わたしがつかわした霊的な師、ミルドレッド・ヒンクリーに、こう言わせたことがある。「あなたがたは、舌先三寸で宇宙を創造する力をもって生まれてきたのですよ」とね。この言葉は驚くべき意味をもっている。別の師が語った真実と同じようにね。

「あなたがたが信じることが、あなたがたに行われますように」

この2つは、思考と言葉について言っている。別の師は、行動についてこんなふうに言っているな。

「はじまりは神である。終わりは行為である。行為は創造する神、あるいは体験された神である」

質問者:あなたがおっしゃったんですよ。

あの1冊目の対話は、あなたを通してもたらされたのだ、息子よ。すべての偉大な教えは、わたしがインスピレーションを与え、人間を通して伝えられた。

インスピレーションによって動かされる者、それを恐れげもなく大衆と分かち合う者、そういうひとたちは、わたしがつかわした最も偉大な師だよ。

質問者:わたしが、そのなかにふくまれるかどうか、自信がありませんが。

あなたがインスピレーションを受けた言葉は、何百万人もの人びとと分かち合うべきものだ。何百万人もだ、息子よ。対話は24カ国語に翻訳された。全世界に広がった。偉大な師かどうかを、あなたはそんな物差しで判断するのかな?

質問者:言葉ではなく、そのひとの行動を物差しにします。

それは、大変に賢明な答えだ。

質問者:この人生のわたしの行動は、うまくわたしを語っていなし、師という資格が得られるようなものでもないのは、もちろんです。

そんなことを言うと、これまで現れた師の半分は資格がないと否定することになる。

質問者:どういう意味ですか?

『奇跡のコース』という本のなかで、ヘレン・シュクマンを通して言ったことだ。ひとは学ばなければならないことを教える。自分が完璧でなければ、完璧になる方法を教えることはできないと思うかね?確かに、あなたもひと並みに過ちと呼ぶことをしてきたが―。

質問者:ひと並み以上です・・・。

わたしとともに、この対話をもたらすという偉大な勇気も示した。

質問者:あるいは、とんでもない愚かさを。

そうして、そう自分を卑下する?あなたがたは、みんなそうだ!誰もかもがそうだ!自分自身の偉大さを否定し、自分のなかで経験できる「わたし」を否定する。

質問者:そんなことはないでしょ!わたしは、否定したことはありません!

まあ、最近はね・・・。あなたに告げよう。オンドリが鳴く前に、あなたは3度、わたしを否定するだろう。

自分自身を真実よりも小さいと考えるのは、すべて、わたしを否定することだ。自分自身を貶めるのは、すべて、わたしを否定することだ。

「自分なんかまだまだ」とか、あれこれ欠陥があるとか、何にしても不十分だという役割を演じつつ行う行為はすべて、全く(indeed)否定である。思考だけでなく、言葉だけでなく、行為における(in deed)否定である。

本当の自分についての最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンだけで、自分の人生を表現しなさい。さて、あなたの最も偉大なヴィジョンとは何だろうね?それは、いつの日か自分は偉大な師になるということではなかったのかな?

質問者:そうです・・・。

それなら、そうなりなさい。そうなっているのだよ。あなたが否定するまでは。

質問者:もう二度と否定しませんよ。

じゃあ、証明してごらん。

質問者:証明?

証明してごらん。

質問者:どうやって?


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【2008/05/10 21:00】 | 人生