![]() 質問者:ビジネスの世界でも同じですか?ビジネスの世界で、そんなやり方が通るものでしょうか?
それどころか、正気でビジネスをしようと思うなら、それが唯一の方法だ。 いまのあなたがたの社会の問題は、力を基盤としていることだ。法律的な力(「司法の力」とあなたがたは言う)や、物理的な力(「軍事力」だね)に始終訴える。あなたがたはまだ、説得の術を使いこなすことを覚えていない。 質問者:法律的な力、つまり裁判所を通じた「司法の力」を使わないとしたら、どうやって企業を「説得」して、契約や合意を守らせるんですか? あなたがたのいまの文明の倫理では、他に方法はないかもしれない。だが、文明の倫理が変化すれば、いま企業に(個人に)合意事項を履行させている方法は、非常に原始的に見えてくるだろう。 質問者:もっと説明してくださいますか? いまは、あなたがたは力で合意事項を履行させている。だが、文化的倫理が変化して、すべては「ひとつ」であるという理解が行きわたれば、決して力は使わないだろう。それでは、自分に被害を与えることになるからだ。右手で左手をたたくようなことはすまい。 質問者:左手が自分の首を絞めてもですか? そんなことも起こらなくなる。自分の顔が醜くて鼻に噛み付くようなまねはしなくなるよ。合意を踏みにじったりもしなくなる。合意そのものが、いまとは随分違ったものになるだろう。 いまは相手が価値のあるものをよこすときだけ、自分も価値のあるものを与えると合意する。しかし、そんなことはなくなるだろう。 与えるのも分け合うのも自然になるから、契約を破るとか破らないというより、、契約そのものがずっと少なくなる。 契約とは、モノやサービスの交換についての取り決めでだが、交換があろうがなかろうが、モノやサービスを与えるようになる。 そうなれば、一方的に与えることが救いになる。そのとき、神が経験したことに気づくからだ。つまり、ひとに与えるのは自分に与えることだ。行ったものは戻ってくる、と。 質問者:自分から出ていたったものはすべて、自分に戻ってくるんですね。 7倍になって。だから、何を「取り戻せる」か、心配しなくていい。何を「与える」かだけを考えていればいい。生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることだ。 あなたがたは、忘れている(forgetting)が、人生は得るためにある(for getting)のではない。姓名とは、与えるために(for giving)あるし、そのためには、ひとを赦す(forgiving)必要がある。特に、期待したものをくれなかった相手を赦さなければならない。 そうなると、あなたがたの文化の物語は一変するだろう。 現在の文化で言う「成功」は、どのくらい自分が「得た」かで測られている。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られているのだ。新しい文化では、「成功」はどのくらいひとに「蓄積」させたかで測られる。 皮肉なことに、ひとに蓄積させればさせるほど、あなたも苦労なく蓄積することになる。 「契約」も「合意」も「取引」も「交渉」も、与えるという「約束」の履行を強制し合う訴訟も法廷もなくなる。 未来の経済では、個人的な利益目当てではなく、個人的な成長を目的にものごとを行うようになる。それが自分の利益だからだ。自分が大きく立派になれば、物質的な「利益」はあとから自然についてくる。 そうなれば、与えると「言った」のだから与えろと共生するのは、非常に原始的なやり方に見えてくるだろう。相手が合意を履行しなかったら、好きなように選択させるだろう。 相手が与えなくても、あなたが失うわけではない。「それが来たところにはもっとたくさん」あることを知っているし、その源というのはあなたがもっている何かではなく、あなた自身だからだ。 ★★★ご協力下さい★★★ 下の2つのブログランキングをクリックしていただくだけで、沢山の方とこのブログが共有することができます。1日1回!↓↓↓↓↓↓↓↓↓のブログランキングのクリックにご協力下さい。m(_ _)m ![]() ![]()
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